オリパラ両方でパリ切符を。石原愛依が初めて白杖で挑んだ競泳日本選手権
パラサポWEB / 2023年4月18日 15時52分
オリンピックとパラリンピックの両方で2024年のパリを目指す、ロービジョン(弱視)スイマーの石原愛依(いしはら・めい)が、競泳の世界選手権(7月、福岡市)の代表選考会を兼ねて開催された競泳日本選手権(4月4~9日)に出場。東京2020大会が行われた東京アクアティクスセンターで女子200m個人メドレー、女子200m平泳ぎ、女子400m個人メドレーの3種目に挑んだ。結果は世界選手権代表入りにはわずかに届かなかったが、自己ベストを出したレースもあり、世界ユニバーシティー大会(7~8月・中国)代表に選出。来年につながる泳ぎを見せた。
福岡生まれの大学生スイマー石原は福岡県生まれ。福岡・柳川高校時に出場した世界ジュニア選手権で200m個人メドレーと200m平泳ぎの2種目で銅メダルを獲得し、その後、神奈川大学へ進学した。
大学2年生の夏に症状が出たという石原。現在のところ病名は不明で「視野が狭まり、視力が低下している」写真は日本パラ水泳春季チャレンジレース photo by X-12021年夏の東京オリンピック出場には届かず、パリオリンピックを目指して再スタートを切った2021年秋に目の病気を発症。現在の視界は、1年前の2022年4月と比べてもさらに半分程度に狭まり、「7割見えていないと考えてもらったらいいと思います」(石原)と説明する。
「すごく緊張した」と話した日本パラ水泳春季チャレンジレース見えているのは目の前の直径20㎝程度の範囲。大会のように照明がまぶしい場所は「真っ白な世界」(石原)だ。さらに、「耳もちょっとずつ聞こえが悪くなっている」という。
そのため、パラリンピックにも挑戦することを決意。今年3月に国内限定ながら視覚障がいの中で最も障がいが軽いS13クラスに認定され、3月上旬の日本パラ水泳春季チャレンジレースでパラ水泳デビューを果たした。
パラ水泳で出場したのは2種目。すると、女子100m平泳ぎ(SB13)で1分10秒09、女子200m個人メドレー(SM13)で2分15秒00と、いずれも同障がいクラスの日本記録を樹立した。とくに女子200m個人メドレーは世界記録(SM13)を6秒以上も上回り、会場をざわつかせた。
3月の日本パラ水泳春季チャレンジレースでは多くのメディアが注目。レース前に異例の記者会見が行われた 「見えていたときのベストを超えられた」それから約1ヵ月。今度は、目の病気を発症する前から目標としてきた世界選手権の代表選考会を兼ねる日本選手権がレースの舞台となった。福岡は2001年にも世界選手権を開催。石原は、「私が1歳のときに最初の福岡世界水泳が行われ、自分が水泳をしている間にはもう二度とない地元開催だと思っていました。福岡での世界選手権が決まってからは、この試合には絶対に出ると決めていました」と並々ならぬ覚悟を示していた。その言葉通り、ターンのタイミングやまっすぐ泳ぐのも一苦労という困難と闘いながら、できる強化に精一杯取り組んできた。
4日の日本選手権。石原は白杖を手に登場した photo by AFLO SPORT最初に出た種目は初日の4月4日にあった200m個人メドレー。白杖を手に持ち、サングラスをつけて入場した石原は予選を2分14秒37、全体の4位で決勝に進出した。決勝レースは6コースでスタート。4コースには東京オリンピックで個人メドレー2冠に輝いた大橋悠依、5コースには昨年の世界ジュニア選手権3冠の成田実生がいるというハイレベルな争いの中で、堂々とした泳ぎを見せた。
とくに強化してきたという最初のバタフライを4位で入り、続く背泳ぎも4位でターン。得意の平泳ぎで3位との差を詰め、ラストの自由形でも粘って2分12秒30で4位。目標としていた世界選手権の代表権を獲得することはできなかったが、それまでの自己ベストだった2分12秒67を更新した。
写真は日本パラ水泳春季チャレンジレース photo by X-1取材エリアでは代表入りに届かなかった悔しさをのぞかせながらも、「練習でやってきたことを全部やりたかったので、自分を信じてやったという感じ。けっこう行けたと感じました」と手応えを語った。そして、「3日後の200m平泳ぎにこの悔しさをぶつけます」と前を向いた。200m平泳ぎは、高校時代に出している2分24秒99の自己ベストを上回れば代表入りが夢ではない種目だ。
ところが、ここではまさかの結果を突きつけられた。予選で2分29秒36に終わり、全体の17位。B決勝にも残れず予選落ちしたのだ。
「思うように泳ぐことができず情けない結果で終わってしまった」。石原はうなだれたが、「最終日の400m個人メドレーがまだ残っている。目標を叶えるラストチャンスまでやり切る」と自らを奮い立たせた。
石原は地元開催の世界選手権代表選考会を最後まで泳ぎ切った写真は日本パラ水泳春季チャレンジレース photo by X-1こうして迎えた最終日の400m個人メドレー。予選を7位で通過した石原は決勝を1コースで泳ぎ、4分46秒22で8位だった。1コースは照明の真下。他のコースよりもまぶしさが厳しいという悪条件。
「(4分44秒97だった)予選よりタイムを落としてしまったのは疲れや力みがあったからだと思いますが、今できることは全て出せたかなと思います」と結果を受け止めつつ、「真っ白な世界で泳いでいて、正直、しんどい部分が多かったですが、自分だけを信じて400mを泳ぎきりました。何も見えない状態でのレースは、やっぱり怖い。コースを離脱しないかなど、不安はたくさん出てきます。でも、その中でも最後までやり抜きました」と胸を張った。
そして、このように大会を総括した。
「最初の200m個人メドレーで2年ぶりのベストという、見えていたときのベストを超えられたのは嬉しかったです。反省も見つかりつつ、少し一歩前に進めた試合でした。でも、パリオリンピックに向けては全体的にまだ実力が足りない。スピードや持久力を持っていないのでもう一度、冬も春も全体的に強化して上げていきたいです」
現段階で、パラリンピックに関してはまだ国際クラス分けを受検していないため、引き続き認定に必要な検査などを行っていくという。石原によると、「まずはハッキリとした病名や病気が見つかるまで検査をし続けて、国際診断書を書けるようになれば(所定の機関に)提出して、大会に行ってクラス分けを行う」という流れ。申請や受理に至るまでのスケジュールは未定だ。
オリンピックとパラリンピック両方を目指す写真は日本パラ水泳春季チャレンジレース photo by X-1一方、パリオリンピックを目指すためには来年3月の代表選考会に向けての練習をすぐにスタートする。
「パリオリンピックには出ると心で決めています。そして、パラリンピックでもオリンピックでも活躍できる選手になりたい。今回は白杖を持つと決めて臨んだ最初の大会だったので、少し自分でも手間取るところはあったのですが、私がこうして出ることによって、今後いろいろな人がもっと出やすくなったり、過ごしやすい社会になったりするのかなと思っています。そこは自分もプラスに捉えて、これからもっと頑張っていきたいです」
注目を浴びる“二刀流スイマー”は力強く宣言した。
edited by TEAM A
text by Yumiko Yanai
key visual by AFLO SPORT
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