東大入試の教科に体育を入れるべき理由とは?
パラサポWEB / 2023年9月25日 8時0分
「スポーツが得意な子どもは勉強が苦手」といった考えは一昔前の話。今や海外で活躍するトップアスリートは自在に現地の言葉を操り、情報分析や高度な戦略に瞬時に対応するなど、運動ができる上に頭もいいことが当たり前になってきている。そんな中、「東大入試の教科に体育を導入しよう」と、文武両道の子育てを提唱しているのが、スポーツ科学の第一人者、深代千之氏。その真意と、運動も勉強もできる脳を育てる方法についてお話を伺った。
体力測定の結果がいい子ほど、学力テストの結果もいい?「東大入試に体育を」と提唱する、日本女子体育大学の学長であり東京大学名誉教授でもある深代千之氏 写真提供:日本女子体育大学
文武両道は古くは『平家物語』に登場する概念で、武家社会では武士の心得、理想的な姿とされていた。しかし近年の漫画や小説などのキャラクターを見ると、運動が得意なガキ大将タイプの子どもは勉強が苦手で、反対に勉強が出来るガリ勉タイプの子どもは運動音痴といったステレオタイプな描かれ方をしていることが多い。果たして文武両道は単なる理想論で、運動ができる人は勉強が苦手なのだろうか?
「たとえば、スポーツ推薦で高校や大学に進学した子どもは、中学レベルの英語や数学ができないケースが実際にあります。しかしそれは、運動部の子は勉強をする時間がないのは仕方がないと、社会が勉強しないことを認めてしまっているため、勉強をする機会が奪われているからです。一方、東大に入るような子は、運動をしている暇があったら勉強をしなさいと、大人が子どもの可能性を最初から潰してしまっている。つまり勉強か運動かという二者択一の偏った考え方になってしまうんです」
しかし、最近の研究では学力と運動能力は相関関係にあるという結果が出ているという。
アメリカ・イリノイ大学の神経科学、運動学(キネシオロジー)を専門とするヒルマン博士は、イリノイ州の小学三年生と五年生二五〇人あまりを対象に運動能力と学力の関係を調査しました。行った体力測定は、体前屈、シャトルラン(二〇メートル往復持久走)、腕立て伏せ、腹筋。これらの成績をイリノイ州の学力テスト(算数と国語)の結果と比較をしてみました。すると、運動能力が優れている子どもは、学力テストの成績も同様によいということがわかったのです。
――『運動も勉強もできる脳を育てる 「運脳神経」のつくり方』(深代千之著/ラウンドフラット刊)
この他にも複数の調査で体力測定の結果がよい子どもほど、学力テストの成績がよいという結果が出たのだそう。
運動をすると脳が活性化「勉強は頭で、運動は身体でするものではなく、勉強も運動も頭、つまり脳でするものです。たとえば一度自転車に乗れた人は、しばらくブランクがあってもすぐに乗れるようになります。よく“身体が覚えている”などという言い方をしますが、実際には筋肉に記憶力はありません。脳の一部が自転車に乗る際の身体の動かし方を覚えているということです。脳の中にはたくさんの神経細胞がありますが、その間のシナプスを通って、次々に電気信号が伝えられていきます。電気信号が通ると、そこに通り道つまり『神経パターン』ができるんですが、電気が同じところを走ることで、覚えたことを思い出す、というのが記憶の仕組みです。これは勉強も同じで、教科書や参考書を読むと神経細胞の間に電気信号が走って道ができ、脳が活性化するわけです。ですから仮に勉強か運動のどちらかしかやらないと、脳の神経情報の通り道が偏ったものになってしまうわけです」
勉強か運動かではなく両方を実践するからこそより脳が活性化し、勉強にも運動にもいい影響を与える。つまり文武両道は単なる理想論ではなく、どちらも同じように行うことで、どちらの能力も伸びる可能性があるということが研究によってわかってきたというわけだ。
だから私は「東大受験の教科に体育の導入」を提案するところが日本では、子どもの運動不足が深刻化して久しい。少し古い数字だが、2000~2002年にかけてヨーロッパ・北アメリカ・日本の28カ国で、11歳児が平日の放課後に「活動的な身体活動」を週2回以上実施している割合を調査したところ、日本は28カ国中最下位に。この数字が問題となり、改善策が講じられ、最近ではその順位が上がってきてはいるが、まだ充分とは言えない。同様に、OECD(経済協力開発機構)によるPISA(学習到達度調査)によると、2000年の調査では日本は数学的リテラシー1位、科学的リテラシー2位、読解力8位だったものが、2018年は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位、読解力15位と大きく順位を落としている。これが運動不足によるものとは安易には言えないが、日本の子どもたちの体力も学力も以前より低下していることは明らかだ。そこで、深代氏は「東大受験の教科に体育を導入しよう」という提案をしている。
「欧米の大学は入学するよりも卒業するのが難しいと言われますが、日本の場合は入試が重視されます。日本の大学の最高峰といわれる東大の場合、中学や高校で主要五教科と言われる英国数社理を中心に出題がされ、受験生は必死でその五教科を勉強し、学校や予備校もその対策をします。それは受験に必要な教科だからです。ですから、体育も大学入試の必須教科にすれば、勉強と同じくらい運動も大事という一般的な風潮ができて、子どもだけじゃなく、親御さんも一緒に運動するという流れになると思うんです。ですから日本における知的拠点である東大が、体育を入試に導入すればインパクトがありますし、それが広まって日本全体に活気が生まれて元気になるんじゃないでしょうか」
生まれながらの運動音痴は存在しない!文武両道が脳にいい影響を与えることが分かったとはいえ、運動は何をやっても上手にできない、そもそも生まれつき運動神経がない、という人もいるだろう。しかし運動神経がない人はいないし、上手い下手は先天的なものではなく、あくまでも後天的なものだと、深代氏はいう。
「たとえば箸はただの2本の棒ですが、日本人は小さい時から練習をするので、箸で小さいものを摘まんだり、食べ物を取ったりと、器用に使うことができます。ところが欧米人は練習をしていませんから上手く使えない。生まれつきの能力は関係ありません。それと同じで、運動も練習すればできるようになるんです」
しかし勉強もそうだが、好きでないもの、苦手なものを練習し続けるというのは苦痛なものだ。大人だって健康のために運動すべきだとは分かっていても、運動を継続的に行うのは難しい。
「運動をしないと健康を害するとか、病気になると言われたら、誰だって面白くありません。1日1万歩を歩きなさいということではなくて、たとえばゴルフのように面白くプレーしていたら、たまたま1万歩以上歩いちゃった、というのが理想です。最初はそれほど上手じゃなくても、1ラウンドで1回か2回思い通りのショットが出れば、面白くなって練習してまたプレイしようとなるわけです。そんな風に、運動は『苦しくて嫌なものだけど、やらなくてはいけないもの』ではなくて、『楽しいもの』だからやる。その結果、たまたま健康になるというロジックの転換が必要です。ですから、やらなければならないという考えは捨てて、面白いからやろうというふうに考えてほしいですね」
運動を楽しむためのコツとは?深代氏によると、運動が苦痛なものではなく、楽しくなる、面白くなるためのコツは「上手になること」だそうだ。
「たとえばボールリフティングが昨日は1回しかできなかったのが今日は2回、3回とできるようになったとか、昨日より今日が上手くなると、面白いからまたやってみようっていうふうになるんですよね。筋力や持久力は骨格筋や呼吸循環器系の話ですから鍛えるためには苦しくても続ける必要がありますが、上手い下手を左右するのは先程お話した箸の使い方と同じ脳です。ですから、そうした脳を使った方法で上手くなって、運動を楽しいと思えるようになりましょう、というのが私の主張です」
日本人の中には、野球で甲子園に行くには体が悲鳴をあげるくらい練習をしなければいけないなどといった、苦しい練習をしなければ上達しないという思い込みがあったと、深代氏は指摘する。しかし、練習をたくさんしたからといって、必ずしも上達するとは限らないのだそうだ。
「多くの人はどのくらい運動したら上手くなるか? などと考えがちですが、上手い下手に運動の繰り返し回数は関係ありません。自転車に乗る練習を100回やっても乗れなければ意味がありませんよね。その場合は何回やるかではなく1回乗れるようになるまでやるということです」
それは5回かもしれないし、10回かもしれないし、100回かもしれない。目的は回数ではなくて、あくまでも、上手くなること。それには、どれくらい運動すればいいか、何回やるべきかという考え方を捨てることが重要なのだという。
楽しく体の動かし方を学んで、運動好きに子どもの頃、夏休みの宿題で、嫌いな教科のドリルをやるのは苦痛で後回しにしたが、好きな科目のドリルはさくさくと終わらせることができて、もっと難しい問題を解いてみたくなった、という経験はないだろうか。運動も同じように、ひとつできるようになると、もっと高度なことに挑戦したくなる。深代氏の著書の中には、そうした心理を上手く活用した運動ドリルがある。
「運動が上手くなるには、こういう動作を練習するといいという基本的な体の動かし方があることが、スポーツ科学の研究で分かってきました。しかし、分かっていても、自分ひとりでは最初から上手くできるものではありません。ですから、その動きを効率よく練習するためのドリルを開発したんです。たとえば、ボールを投げるのが下手な人にとって一番効果的な練習方法は、真下投げといって、昔の遊びのメンコのようにボールを握った手を上げてから真下に投げるんです。そうすると、手首の動きやボールをリリースする時の感覚を覚えることができます。そんな風にドリルにある動きをやっていたら、たまたま投げるのが上手くなった、たまたま走るのが上手くなった、というところから、体を動かすことが楽しくなってくれたら嬉しいですね」
かのアリストテレスやプラトンといった古代ギリシアの哲学者たちは、弟子と歩きながら、つまり体を動かしながら講義をしたという話が伝えられている。歴史の年号や英単語を暗記するときも、歩きながらの方が覚えやすいといった話もあるように、実は体を動かして脳に血液と刺激を送るのは、結果として脳が活性化するといった生理学的にも理にかなったことなのだそうだ。そう考えると、いい学校に入るために運動時間を削って勉強に集中するのは、実は目的に逆行しているのかもしれない。文武両道、それこそが一番の脳トレなのではないだろうか。
PROFILE 深代千之(ふかしろせんし)
日本女子体育大学学長 東京大学名誉教授。
トップアスリートの動作分析から、子どもの発達段階に合った運動能力開発法まで幅広く研究する、スポーツ科学の第一人者。国際バイオメカニクス学会元理事、日本バイオメカニクス学会元会長、(一社)日本体育学会元会長、など学術界で貢献。日本テレビ「世界一受けたい授業」やNHK「きわめびと」に出演した際の内容が話題に。『東大教授が教える/とっておきスポーツ上達ドリル』(少年写真新聞社)、『運動会で一番になる子どもの育て方』(東京書籍)、『子どもの学力と運「脳」神経を伸ばす魔法のドリル』(カンゼン)など著書も多数。
<参考図書>深代千之著『運動も勉強もできる脳を育てる 「運脳神経」のつくり方』
(ラウンドフラット刊)
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock
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