2つのゴールを目指す画期的なスポーツ指導法とは
パラサポWEB / 2023年11月6日 7時0分
せっかくスポーツに取り組んだにもかかわらず、コーチをはじめとする指導者の心ない一言や指導によって挫折し、スポーツが嫌いになってしまう子どもが少なくない。そんな若い世代のスポーツにおけるコーチングとして注目を集めているのが“ダブル・ゴール・コーチ”。それはいったいどういうことなのか、コーチングの教科書として絶賛されている書籍『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』(鈴木佑依子訳・東洋館出版社刊)から紹介しよう。
勝利がすべてという考えは、百害あって一利なしユーススポーツの盛んなアメリカでは、育成年代のコーチングのメソッドについて様々な提唱がなされている。中でもスポーツによって、ポジティブな人格を形成する環境を整える取り組みを行っているPCA(ポジティブ・コーチング・アライアンス)の活動は評価が高い。ここで紹介するのはそのPCAの創始者であり、リーダーシップやコーチングの研究者であるジム・トンプソンが生み出した“ダブル・ゴール・コーチ”という指導法。詳細に記した前述の著書は翻訳されて日本でも多くの読者を得ている。
まず、この“ダブル・ゴール・コーチ”とはいったいどういうことなのか。なぜそれが若いアスリートの指導法として高い支持を得ているのか。それは、スポーツをすることのゴールをただ“勝つ”というひとつのゴールのみにしないこと。ゴールを2つ(ダブル)設定することによって、アスリートがより人間的に成長できるというのが理由だ。
まず最初に変えなければならないのは、監督や保護者の行動を決定する「勝利がすべて」というメンタルモデルである。
「勝利がすべて」は、百害あって一利なしだが、単純に排除することは困難である。私たちが望むような結果を出すためには、それを排除しようとするのではなく、よりよいモノに置き換える方が有効だ。
勝利至上主義の代わりになるモデルとして、PCAは、勝つことを目指しつつ(一番目のゴール)、スポーツを通じて人生の教訓や健やかな人格形成のために必要なことを教える(二番目のゴール。ただし一番目のゴールより重要)「ダブル・ゴール・コーチ」のモデルを考案した。
(ジム・トンプソン・著/鈴木佑依子・訳『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』東洋館出版社より)
スポーツに取り組むからには、もちろん勝ちたいし、パフォーマンスをアップしたいのは当然だ。しかし、目的がそれだけになると、コーチは失敗したり良い成績が出せないアスリートを叱責する。度が過ぎれば、そのアスリートの人生さえ否定しかねない言葉が飛び出す。それは、ユーススポーツのゴールではない。
「ユーススポーツの真の価値は、グラウンドで頑張ることを通じて、人格形成に資することを子供たちが経験することである。その経験は将来、仕事・価値観・市民としての責任・家庭生活などにおいて活きてくる」とジム・トンプソンは主張する。
だから、ユーススポーツに取り組む目的は
第一の目的:勝つこと
第二の目的:人生の教訓
とふたつに設定する必要があるのだという。
これは、少し考えれば至って正しいことがわかる。スポーツが大好きという若者は多く、中にはプロになって活躍したいという希望をもつ子も少なくないだろう。しかし残念ながらプロになれる確率は必ずしも高くはない。さらに、一流と言えるような成績を残す確率となれば言わずもがなだ。だとすれば、勝つことだけを目標にスポーツに打ち込むことは、その後の人生の意味を失うことに繋がりかねない。そうならないためにも、第二の目標が必要なのだ。
勝者とは何か?スポーツをする際に、常に2つの目的を意識すること。それを提唱したジム・トンプソンによるコーチモデルの原則は3つある。そのひとつはまず「勝者」とはどういうものか、「勝者になるというのはどういうことか」を再定義することである。“ダブル・ゴール・コーチ”では、単純にスコアボード上で勝った人だけを勝者とはしていない。もうひとつ「熟達の勝者」という定義を提唱している。
得点指向性では他者との比較、試合結果、失敗の回避が重視される一方、熟達というコンセプトでは努力、学習、改善、そして失敗にどのように対処するかが重視される。熟達の重要な要素を監督、保護者、そして選手の皆さんに覚えていただくために、次の合い言葉を考案した。熟達の木はELMツリー(楡[にれ]の木)。EはEffort(努力)、LはLearning(学習)、そしてMはMistake(ミス、失敗)をしたときにどのように対処するか、である。
(ジム・トンプソン・著/鈴木佑依子・訳『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』東洋館出版社より)
このELMツリーだが、楡の木を英語でELM(エルム)と言うため、コーチがアスリートを指導する際には、熟達の木に登ること=Effort(努力)、Learning(学習)、そしてMistake(ミス、失敗)をしたときにどのように対処するかを意識することとして丁寧に説明するようにと、ジム・トンプソンは語っている。
「熟達」の勝者になることを目標にすると、アスリートは不安感が減少し自信が増すことが多いという。努力や学習は、自分の力でどうにでもなる。たとえミスをしたとしても、どう対処するかを考えることが重視されるからだ。不安感が減少すると、以前よりも競技が楽しいとアスリートは感じるようになるとジム・トンプソンは語っている。実際に、熟達することに集中していると、スコアボードの数字を気にしている場合と比べ、選手たちはより早く上達するという研究結果も出ているそうだ。
エモーショナルタンク(感情のタンク)を一杯にするジム・トンプソンによるコーチモデルの原則の2番目は、アスリートのエモーショナルタンク(感情の貯蔵庫)を満たすことだ。
車の燃料タンクが空っぽだと、その車でどこかにたどり着けるとは期待しないだろう。同じように、子供は(大人も!)目標にたどり着くために満たさなければならないタンクを持っている。それは「エモーショナル・タンク(Eタンク)」と呼ばれるものだ。(中略)
子供たちのEタンクが空っぽになっているとき、プレー(または、勉強、思考、行儀よくすること等)で潜在的な力をすべて残さず発揮することは不可能だ。車の燃料タンクが満たされていることに気を配るのと同じくらい、監督として選手たちのEタンクが満たされていることに気を配れば、よりよい結果を出せるようになるだろう。
(ジム・トンプソン・著/鈴木佑依子・訳『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』東洋館出版社より)
Eタンクを満たすとは、アスリートのモチベーションが上がるような言葉をかけたり、イベントを行うことによって、目標に集中できるような環境にすることだと言えるだろう。
それには、
- 褒める
- 感謝する
- よい行動に気づく
- 聞く
などの方法が効果的であるとジム・トンプソンは語っている。
指導者は、とかく間違っていることを指摘しがちだが、常に注意されればアスリートは頑なになり、ひいては殻に閉じこもり言うことを聞かなくなるかもしれない。一方、小さな事柄でも具体的に褒めることによって、アスリートは自分が何をするべきかを思い出すことがあるのだという。同様に指導者がアスリートに対して、感謝する、よい行動に気づく、そして聞くことは、アスリートの頑張りを指導者は決して見逃してはいない、きちんと認めているというアピールに繋がる。自分のことを指導者が受け入れてくれているとわかれば、Eタンクは一杯に満たされ、目標に向かって頑張ろうという気になることは想像に難くない。
ユーススポーツが子供たちにとって良い経験となるかどうかは、監督や保護者によってEタンクが満たされるかどうかにかかっているといっても過言ではない。Eタンクのレベルを管理することは、それだけ重要なことなのだ。
(ジム・トンプソン・著/鈴木佑依子・訳『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』東洋館出版社より)
ジム・トンプソンによるコーチモデルの原則の3番目は、競技に敬意を払うということ。ジム・トンプソンは、これをPCAの基礎と位置づけている。たとえば、野球の試合に負けて、悔しさのあまりバットを地面にたたきつけて折ってしまったり、自分に不利な判定をした審判に感情をぶつけたりするのは、競技に敬意を払っているとは決して言えない。もし、それまで良いパフォーマンスをしていたとしても、たったひとつの言葉、行動によって台無しになるということは往々にしてあるのだ。
私たちは、スポーツマンシップを超えたものを目指さなければならない。スポーツマンシップには、どこか受動的な雰囲気がある。主に「悪いことをしない」という意味で使われているため、それは私たちが守るべき最低ラインにすぎない。(中略)しかし、このように「マナー違反をしない」だけでは不十分である。ユーススポーツではその参加者に対し、より高いレベルの行動や態度を期待すべきだと私は思っている。「勝ち負けにこだわらないで、フェアに行こう!」というような標語では、今のユーススポーツ文化を変革することはできないだろう。
(ジム・トンプソン・著/鈴木佑依子・訳『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』東洋館出版社より)
そこでジム・トンプソンが「競技に敬意を払う」とはどういうことかを、指導者、保護者、アスリートたちに覚えてもらうために作ったのが合い言葉“ROOTS”だ。ROOTSとは次の単語の頭文字をあわせたもの。
Rules=ルールOpponents=対戦相手
Officials=審判
Teammates=チームメイト
Self=自分
この5つの要素は、一見当たり前にも見えるが、さまざまな人との関わりがあることを忘れ、競技に参加することを当然と思い込んでしまうと、たとえ勝利というゴールに達することができたとしても、人間としての成長を掴むことができないということを表しているのだろう。スポーツをするという恩恵を受けるためには「競技に敬意を払う」という責任がついて回ることを忘れてはいけないというジム・トンプソンの主張は、“スポーツマンシップ”という言葉が存在価値を失いつつある現状では特に重く響くのではないだろうか。
スポーツは楽しいもののはずだ。しかし、勝敗を競う、成績を競う側面があるからこそ、敗者にはつらい結果をもたらすことがある。それによって、スポーツが嫌いになったり、挫折感を味わうことになるのはとても残念だ。このジム・トンプソンの提唱する“ダブル・ゴール・コーチ”は、そんなジレンマを解消し、すべてのアスリートにスポーツに取り組むことの本来の楽しさ、そして人間的な成長をもたらす大事なノウハウに違いない。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock
<参考図書>『ダブル・ゴール・コーチ 勝利と豊かな人生を手に入れるための指導法』
鈴木佑依子訳・東洋館出版社刊
子どもにとってスポーツとの出会いは、人生に多大な影響を与える重要な体験のひとつ。しかし、指導者や親の厳しい指導によって挫折し離れてしまう子どもも多い。そこで重要になるのが、勝利だけをスポーツのゴールとしない考え方。本書は、PCA(ポジティブ・コーチング・アライアンス)メソッドを提唱したジム・トンプソン氏がその理論を詳述し、全米を席巻したユーススポーツコーチングのバイブルの邦訳。すべての子どもたちがスポーツを通じて人生を豊かにするために指導者や親はどうするべきかがわかる実践的な内容が網羅されている。
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