パラアスリートが高校生に伝えるキャリアのヒント
パラサポWEB / 2024年4月15日 7時0分
大人ですら戸惑うほどに変化の激しい社会。その中で成長し生きていく子どもたちに、希望をもって自立的に生きていってほしい。学校で行われる「キャリア教育」は、そうした先生方の想いのもと、自己理解を深めたり、勤労観や職業観を育んだりとさまざまな取組が各校で実践されています。
障がいのあるアスリートとの出会いも、そのひとつです。自分の進路や将来を現実的に考え始める高校生にとって、大きな困難と直面しながらも、自らの人生と向き合い歩んできたパラアスリートの生き方は、とても力強く希望を与えるものになるのではないでしょうか。ある高校の授業を取材しました。 ※本記事は2023年10月取材時の内容を元に掲載しています。
パラアスリートが「インクルーシブ教育実践推進校」を訪問2023年10月のある日、パラトライアスロンの秦由加子選手が、神奈川県立霧が丘高等学校を訪れました。学校生活において「すべての子どもが共に学び、育つ」ことをめざし、「インクルーシブ教育実践推進校」として共生社会の実現をめざした実践的な取り組みを日々行っています。
全校生徒約1,000名の神奈川県立霧が丘高等学校特に当事者の声を聞く機会を意識的に持っており、これまでには発達障がいや視覚障がい、LGBTQといった当事者の方から共生社会について語る講演会を実施してきているそう。今回は高校2年生約350名を対象に、秦選手のお話を聞く「あすチャレ!メッセンジャー」の講演が行われました。
秦選手は、パラトライアスロンでリオ2016パラリンピック、東京2020パラリンピックに出場。世界的に活躍している現役アスリートの生の声を聞ける貴重な機会とあって、講演前から秦選手のポスターが学校内に貼られ、生徒たちの関心も高まっていました。
秦選手の明るくはきはきとした声が、会場に響きます 全力で競技に挑むパラアスリートの強さが心に響くまずは、パラスポーツについて理解を深めます。秦選手が語る、これまで知らなかったパラトライアスロンの世界の話に、生徒たちも惹き込まれていきます。
パラトライアスロンとは、スイム(水泳)、バイク(自転車)、ランを一人の選手が順番に行っていく競技です。障がいの種類や程度によってクラスが分かれており、車いすの選手、肢体不自由で立位の選手、視覚障がいの選手と分かれてそのタイムを競い合います。スイムからバイク、バイクからランニングへの転換(トランジション)もタイムに含まれるため、用具の着脱や乗り換えもスピーディーに行わなければなりません。秦選手の説明と共に、パラトライアスロンの魅力を伝える動画が上映されると、高校生たちは熱心に見入っています。「こんなにたくさんの人が参加している競技だと知らなかった」と、その盛り上がりに驚いていました。
競技のパワフルな様子のみならず、高校生たちの前に立って話をする秦選手は、堂々としていてとてもエネルギッシュ。厳しい練習や大きな大会でのプレッシャーに打ち勝ちながら結果を出し続けてきたアスリートとしての自信が伝わってきます。高校生の目に映るその存在は、目標に向かってやるべきことを強い意志でやり遂げていく、まさに自立した大人として手本となる姿。そんな秦選手ですが、脚を切断した当初は義足で日常生活を過ごすのもつらく、自信がなかったと話します。
右足に義足を履いて生徒たちに語りかける秦選手 中学生の日常が一変した、「脚の切断」という選択を聞いて秦選手が脚を切断したのは13歳のとき。部活動のバスケットボールに力を注ぐ日常生活を送っていたある日、脚に違和感を感じて病院に行ったことをきっかけに、骨肉腫という病気が見つかりました。骨肉腫とは、骨に発生する悪性腫瘍(がん)の一つで、10代で発症することが多い病気。命を守るために脚を切断するかどうか、選択を突然迫られることになった秦選手は、「命があることが最優先」と、中学生ながらに脚の切断を決めました。
ある日突然訪れた急激な変化。10代で脚を切断した秦選手の話に、講演を聞いている高校生たちも、自然と自分の身を重ね合わせます。自分が同じような立場だったらどう考えるだろう。自分の家族や友人が同じようになったらどう接しただろう。「脚を切断するという決断をできたことがすごいと思った」という感想からは、新しい視点で人生を考え始めたことが伺えます。
決断に迷いはなかったものの、脚を切断した後は精神的にもつらい日々が続きました。義足をつけての学校生活では、周囲の視線が気になってしまい、義足を恥ずかしいとさえ思ってしまうように。特につらかったのは体育の授業や運動会。これまでのように体を動かせないことに対して、悲しみがこみあげてきたと言います。自分の生活や目標としていたことが突如一変してしまった、これほど大きな変化を13歳の少女が受け止め、受け入れるには、時間がかかるのも無理はありません。
つらい日々からの再起。義足を隠さず堂々と戦う姿から学ぶもの精神的につらい日々を過ごしていた秦選手が、現在のようにエネルギッシュにパラアスリートとして活躍するようになったきっかけは何だったのでしょうか。それは25歳のとき。もう一度自信を取り戻したいと思った秦選手は、以前自分が好きだったものにもう一度挑戦してみようと一念発起。「脚の切断」という人生の大きな転換を経て、自分の可能性を信じてみようと思ったのです。
そこで小学生のとき本格的に取り組んでいた水泳に再度挑戦。せっかくやるならとパラリンピックをめざしたいと考えるようになりました。惜しくもロンドン2012パラリンピックの出場選手には選ばれなかったものの、ここから秦選手の挑戦は続きます。翌年にはパラトライアスロンの選手に転向。厳しいトレーニングをこなし、リオ2016パラリンピック、そして東京2020パラリンピックでの活躍へとつながりました。秦選手の再起は、自分の人生に起きた変化に対応し、それをばねにさらなる高みへとジャンプアップしていったプロセスそのものといえるでしょう。秦選手が、どれだけ自分と、そして社会と向き合い続けたのか。その時間があったからこそ今の秦選手があるのは間違いありません。
そんな秦選手の支えとなった存在がありました。秦選手と同じ、片脚が義足のパラアスリート、サラ・レイナートセン選手。秦選手が感動したのは、ある雑誌の表紙に載ったレイナートセン選手の写真です。そこには外装(義足を覆うカバー。肌のような色のスポンジなどでできている)をつけず、義足のまま仁王立ちする姿が。周囲の目を気にして、義足であることにコンプレックスを感じていた秦選手は、その写真を見て「堂々としていてかっこいい」と衝撃を受けました。隠すことではない。堂々と自信をもてばいいんだ。義足に対しての考えが大きく変わった瞬間でした。ありのままの自分を受け入れ、肯定的にとらえることがどれほどの力を生み出すのか、秦選手のお話から私たちは多くを学ぶことができます。
つらかった長い時期を経たからこその、秦選手の強さが伝わってきます これからの社会の担い手にこそ、もっと知ってもらいたい現在も現役で選手を続けながら、学校などでも積極的に講演活動を行っている秦選手。たくさんの人に、特にこれから社会に出ていく若い人たちに、障がいのことをもっと知ってもらいたいという信念をもっています。インクルーシブな社会や学校というものへの関心はようやく近年高まってきたとはいえ、まだまだ周囲に障がいのある人がいないという環境も多いでしょう。
「まずは知ることが大事。街中で障がいのある人に会ったとき、声をかけられるかどうか。何も知らなかったら、声をかけたら失礼なんじゃないか、必要とされていないんじゃないか、と躊躇してしまうでしょう。アルバイトや就職をして、仕事をしているときに障がいのある人がいたらどうしますか?」
働くことが現実的に身近になってきた高校生という年代だからこそ、「自分だったら」と引き付けて考えさせる重要な問いかけです。
秦選手がうれしかったという、街中での出来事とは…秦選手は、あるスーパーマーケットの店員さんが心に残っているといいます。その店員さんは秦選手の姿を見ると遠くからでも駆け寄ってきてくれ、「何か必要なことがあったら言ってください!」と必ず声をかけてくれるのだそう。誰に言われたわけでも、マニュアルにあるわけでもないのかもしれません。でも、たったその一言があるだけで、助かる人がいる。
「何をしたらいいかわからなくてもいい。『自分には心のバリアがない』ことを表現してほしいです」
自分はどう生きたいのか、それは今日からでも変えられます。実際、秦選手のお話を聞いた高校生の中には、「この日から」何かが変わったという生徒もいたかもしれません。
競技用の義足も紹介。こうした積み重ねも、障がいを知ることにつながっていきます「自分だったら、脚を切断したら夢をあきらめてしまうかもしれない。前向きに活動していてすごい」「競技に対する想いに感動した」「自分を律する姿が心に残った」。講演を聞いた生徒たちは、パラアスリートの人生と姿勢から自分なりに学びを得ていました。特に、運動系の部活動に取り組んでいる生徒たちには、強く印象に残ったようです。
今回のみならず、数年前から共生社会についての授業や講演会を定期的に行っているという霧が丘高校。生徒たちには、少しずつ「相手の立場に立って行動する」様子が見られてきたと、ご担当の笠原先生は語ります。こうした素地は一朝一夕には作られないだけに、やはり地道な働きかけが実を結びつつあるといえるでしょう。
「社会の中の自分」を考える=キャリア教育としても重要さらに、共生社会について学ぶことは「キャリア教育」の一つとしても重要な役割を担っています。キャリア教育というと、職場体験やインターンシップなどが注目されがちですが、その本質は「社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現していく」ことにあります。社会とのかかわりを見つめるときに、「社会にはさまざまな人がいて、助け合って成り立っている」ということを前提としてもっているかどうか。言葉の上でだけでなくしっかり腹落ちして感覚としてもてているかどうか。社会を作る私たち、そしてこれから社会に出る若い人たちの中で、その前提が当たり前になっていけばいくほど、誰にとっても暮らしやすい社会を作っていけるといえるでしょう。
霧が丘高校でも、進路講演会やキャリアガイダンスなど進路選択に関するキャリア教育も充実している中、今回のような講演もキャリア教育の重要な一つとして位置づけることができると笠原先生は話してくれました。
生徒たちの成長を見守る笠原先生「インクルーシブ教育として行っている学びは、キャリア教育の目標である『自己理解を通して自己の将来の生き方を考えること』や『積極的に社会に関わり貢献する生徒の育成』にもつながっています。こうした学びを重ねていくことで、広く社会を見つめ、さまざまな違いをもった他者がいることを認めることができる人になっていってほしいですね。学校で学んだこと、身につけたことを活かしながら、自己実現を果たし、誰もが生き生きとできる社会を作っていく大人になってほしいと思います」
これから進路を選んでいく中高生にとって、思い描く「将来」や「社会」の中には、どんな人たちがいるでしょうか?そこに当たり前のようにいろいろな人がいること、それがインクルーシブな社会を作る土台となっていくでしょう。
そして、障がいという大きな変化の中にあっても希望をもち続け、自分を信じて変化に柔軟に対応していくパラアスリートの強さと生き方は、これから変化の激しい社会に出ていこうとする高校生たちにとって心強い指針となるでしょう。こうした土台をもった若者がキャリアパーソンへと成長していくことが、社会の希望であり、宝物だといえるのではないでしょうか。
text by Ayako Takeuchi
photo by Haruo Wanibe
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