【独占手記】元日本代表が直撃! パリ出場を決めたブラインドフットボール中川監督が選手たちに求めるもの
パラサポWEB / 2024年6月7日 6時29分
東京大会では自国開催枠でパラリンピックに初出場したブラインドフットボール(ブラインドサッカー)日本代表。パリパラリンピックに向ける代表チームはさらなる進化を遂げ、史上初めて自力で出場切符を獲得した。なぜ日本代表は躍進することができたのか。健常(晴眼)のサッカー出身の指揮官は今何を思うのか。元日本代表の加藤健人選手(愛称:カトケン)が直撃した。
1974年、北海道新ひだか町(旧静内町)出身。クーバー・コーチング・サッカースクールのサッカーコーチとしてプロ選手を育成。現在は、ヘッドマスター。2015年からブラサカ男子日本代表コーチになり、2022年1月から監督。
――お久しぶりです。中川監督……「監督」と呼び慣れていないので、いつものように中川さんと呼ばせていただこうと思います。よろしくお願いします!
中川英治監督(以下、中川)じっくり話すのは約1年前に電話くれた以来だね。何でも聞いてください!
――パリパラリンピックが近づいてきました。本番に向けて日本代表チームの仕上がり具合はどうですか。
中川 東京パラリンピックのときより、どんどん進化しているよ。守備だけでなく、攻撃のバリエーションも増えてきた。東京パラリンピックの経験もあって、選手たちの進化スピードが早いように感じている。
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――約10年前。中川さんの勤務先でブラサカ体験をした縁で中川さんを知り、コーチになって欲しいとお願いしました。まずは、そのときの率直な気持ちを聞きたいです。
中川 僕は当時、ブラサカについてカトケンの必死さが伝わってきたっていうか、もっと上手になりたいという気持ちがストレートに入ってきた感じかな。障がいがあるかではなくて、サッカーを指導するものとして純粋に何か力になりたいと思って。
――ブラサカを初めて見たときの感想を教えてください。
中川 最初はすごくバイアスがかかっていたのか、とにかく『見えてないのにこんなにできるんだ!』、『すごい!』と思った。
だけど今はそうじゃなくて、世界の選手も日本代表も、選手としてすごいなって。
ブラサカは日本に伝わってからまだ22年ぐらい、世界的にも2004年のアテネパラリンピックから実施されるようになって競技自体がまだ新しい。ブラサカの指導者を続けている理由は、まだ完成されていないものを作り上げていく楽しみみたいなところかな。もちろんサッカーでも戦術とかゲームモデルを新しく作っていくというのはあるけど、既存のものの組み合わせとか、引き合わせがすごく多い。ブラサカはまだ歴史が浅いから、アイデアが出切ってない。だから、そのアイデアを出していくのが、すごく面白いなって思う。
初めて見たときのブラサカと、今のブラサカは何か違う競技という感じ。すごく進化している感覚があるかな。
――ブラサカに関わってからのサッカーに対する変化はありましたか。
中川 やっぱり人間に限界はないって思った。みんなわかってはいることだけど、リアルなものがない。でも、ブラサカの選手たちを見ていたら、不可能は本当にないと思うよ。人間はまだまだできるぞ、って。
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――限界はないと感じた出来事があったのでしょうか。
中川 日々思っているよ。例えば2015年ぐらいに(ブラサカ選手にとって難しいとされている)パスを取り入れ始めた。まずは、ブラジル、次第に他の国や日本も。それまではブラサカってドリブルのゲームだった。なぜパスを使わなかったかっていうと、見えないからパスを受けられないよとか、トラップが難しいとか、ドリブルのほうが簡単だったから。でも、そこで限界値を決めていた可能性があると思う。自分自身も、そうだったかもしれない。
だけど、パスの技術はやればやるほどうまくなる。昔は専用競技場がなく、練習の回数も限られていたけど、今はMARUIブラサカパークで練習ができる。常設の壁があってパスやトラップの練習がいっぱいできるからね。
そもそも、視覚というひとつの機能がなくても、脳の中でそれを補う機能が新しく生まれ、発達していく。それってやっぱり人間の可能性だよね。
――本業のコーチングアカデミーでも、限界はないという考え方の話をしているんですか。
中川 もちろん、しているよ。たとえば、健常のサッカーでもこの子どもはこうだなとか、この選手はこういうタイプみたいに思った時点で、もうその選手の能力は伸ばせないよね。限界は決めるものじゃないよって指導者にも伝えているんだ。
――選手への見方が変わったのでしょうか。
中川 選手というよりも、人間の見方が変わった。この前、ふと空を見上げたら、飛行機が飛んでいて。あんな鉄の塊を空に飛ばすって、ライト兄弟ってすごいなーと思ったよ。可能性を見つけたあらゆる人たちをすごいと感じられるようになったかな。
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――以前の日本代表は、組織で戦えても、個人の技術やフィジカルでは海外チームと差があった。組織でしっかり守ることこそできたが、攻撃では打開することが難しかったため、負けないサッカーはできていたが、勝つサッカーを遂行できなかったように思います。ですが、パリでは自力でのパラリンピック出場を掴むことができた。ズバリ、なぜ突破できたのでしょうか。
中川 やっぱり、みんなが自分たちの実力を信じることができたからじゃないかな。2022年の1月から2023年の9月まで、パリに行ける自信を掴んでいくプロセスを作ってきた自負があるし、だからこそ、みんなが本気でやれるって信じられたと思う。そのプロセスが結果として出て、すごくよかった。パリに行くぞ!っていくら言っても、行くことを信じられなかったら出場権は獲得できなかったと思う。
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――攻守の切り替え、判断力はもちろんのこと、一つひとつのプレーのスピードが速くなったと感じます。パリ本番に向けて、中川さんがチームや選手に求めるものは。
中川 成長し続けることかな。
パリパラリンピック前にもいくつかの大会に出場するけど、そこでいい結果といい感触を得られる場合と、得られないパターンがある。だからその2つを想定して、例えばうまくいったとき、『うまくいきすぎても絶対にダメだから、ここで1回チームを壊しておこう』とか、うまくいっていないときはどうやるかを考えてチーム作りをしているよ。
――壊すんですか。
中川 はい、チームを混乱させます。うまくいっているときは、何もしなくてもみんな調子がいいもの。そういうときにこそ、どこかのタイミングで、あえて選手たちやスタッフたちを混乱させる状況をつくる。そうすると『これ、やばいよ』となって、ちょっと自分たちを見つめ直す点検作業をするようになる。そういう要素をわざと入れたりするかな。
みんながうまくいかないときのマネジメントの引き出しを持っているのは大事かなと考えています。だから、いざというときに慌てないよう、チームがうまくいかないときに、『うまくいくようにこういうのを加えよう』と、事前にプランニングしている。
選手たちはまだまだ成長できると思う。最後の1日まで、いいえ、本番の2秒前、1秒前まで、成長してほしい。成長するプロセスは選手ひとりひとり違うから、チームとしても最後まで成長できると思う。
東京パラリンピックでは、ガイドとしてピッチに立った中川さん。初の大舞台で選手のパフォーマンスを引き出せなかった心残りがあったのではないでしょうか。パリではその気持ちを存分に晴らして欲しいです。それに、今のチームならメダル獲得も夢ではありません。応援しています!
<取材後記>今回、中川さんにインタビューしたいと思ったのは、パラリンピックに出場できなかった選手として、今回なぜ自力で出場権を掴めたのか、直接、中川さんに聞きたかったから。実際にインタビューをしてみて、自分の気持ちと重なる部分がありました。
1つ目は、印象に残っている共通の思い出です。それは、2017年のイングランド遠征でゴールを決めたことなのですが、中川さんとのパーソナルトレーニングの成果が結果として出た瞬間でした。実は2015年に中川さんがガイドになってから、なかなかゴールという結果を出せていなかったので、このゴールは自分の中でも大きな意味を持つ1点でした。中川さんがそれを挙げてくれたことは嬉しく、そのシーンを思い出し、こみあげてくるものがありました。
2つ目は、この競技を始めた当時とその後の気持ちの変化です。中川さんが2015年に代表チームのコーチに誘われ、引き受ける決断をした理由は自身が東京パラリンピックに関われると思ったからだったそうです。でも、東京大会後に日本代表の監督を引き受けたのは、中川さんがパリに出たいということではなく、みんなをもう1回パラリンピックに行かせたいという思いだけだった。最初は中川さん自身のためにやっていたものが、今では選手だけではなく関わってくれている方々全員をパリパラリンピックに連れてくぞ、という気持ちになるそうです。
自分自身も、最初は「日本代表になりたい」や「日本代表になって勝利に貢献したい」という気持ちでプレーしてましたが、国際大会が日本で行われるようになった2009年に、たくさんの方々の応援やサポートを実感し、それ以降、感謝の気持ちを結果やプレーで応えたいとの思いでトレーニングしていました。
自分としては長く教えてもらったにもかかわらず、結果で恩返しできなかった悔しさが残っています。パリは選手として出場はできませんが、違う形でかかわって日本代表を盛り上げます!
加藤 健人(かとう・けんと)
2007年から2021年までブラサカ日本代表としてプレー。現在は日本代表からは退き、埼玉T.Wingsのキャプテンとして国内リーグで活躍。発信者としても奮闘中(目指すは、元サッカー日本代表の内田篤人)!
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editing by TEAM A
text by Kento Kato
photo by Hiroaki Yoda
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