【厳選】車いすテニス・国枝慎吾から勇気をもらえる試合3選
パラサポWEB / 2020年5月27日 19時21分
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、今年の東京2020パラリンピックは延期され、車いすテニスツアーも現時点で、7月31日までの大会の中止が決定している。しかし、時にアスリートの姿は私たちを勇気づけ、社会全体が不安と閉塞感に陥る中、前に進む力を与えてくれる。そこで、日本で最も有名なパラアスリートである車いすテニスの国枝慎吾の活躍に注目。2004年のアテネパラリンピックから“車いすテニス界のレジェンド”を取材し続けるライター・酒井朋子さんに国枝の3大ゲームをピックアップしてもらった。
【POINT】こんなにすごい! 国枝慎吾の主な戦績 グランドスラム27勝!
2020年:全豪オープン シングルス優勝 など
パラリンピック4大会連続メダル獲得!2004年:アテネ大会 ダブルス金メダル
2008年:北京大会 シングルス金メダル、ダブルス銅メダル
2012年:ロンドン大会 シングルス金メダル
2016年:リオ大会 ダブルス銅メダル
①2008年<北京パラリンピック>決勝
~世代交代を決定づけるゴールドメダリストに~
勝利の瞬間、国枝は空に向かって雄叫びをあげた。2008年9月15日、北京のオリンピック公園テニス場センターコートで、国枝は真の王者となった。
北京パラリンピックの決勝の対戦相手は、世界ランキング2位のロビン・アマラン(オランダ)だった。アマランは、当時40歳の大ベテランで、シドニーパラリンピック、ダブルスで金メダル、アテネパラリンピックではシングルスで金メダルを獲得するなど、長年車いすテニス界を牽引してきた選手だ。
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北京大会の決勝戦は、序盤から国枝がアマランを圧倒していた。アマランのサービスゲームから始まった第1セット、第1ゲーム、試合開始早々、国枝はリターンエースを2本続けて奪い、主導権を握った。結果的には、それが試合を決したといってもいいかもしれない。
アマランは、得意のドロップショットなどで国枝を翻弄しようと試みたが、国枝を崩すまでには至らなかった。サービスエースとリターンエースを次々に決めた国枝が、第1セットを6−3で奪った。第2セットも国枝がゲームを連取する。最後は、アマランが2本続けてダブルフォールトを犯し、6−0で勝負は決した。
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国枝が初めて世界ランキング1位となったのは、2006年10月。その後一旦は、1位の座を明け渡したが、翌年の2007年1月から再び1位となり、そこから世界の頂点に君臨し続けることになる。2007年、国枝は当時の四大大会を制覇し、国別対抗戦「ワールドチームカップ」でも、日本を2度目の優勝に導くなど、他を圧倒するほどの強さを見せてつけていた。
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当時の車いすテニス界は、変革の時代を迎えていた。今では当たり前となっている、パワーとスピードが要求されるバックハンドのトップスピンを国枝が実戦で使うようになり、車いすテニス界は新しい技術に移り変わろうとしていた。アマランを倒し、金メダルを獲得したことで、新たな王者・国枝の時代が幕を開けたのだった。
②2012年<ロンドンパラリンピック>決勝~肘の手術を経て連覇達成!~
北京大会の金メダルから4年の間に、車いすテニス界は大きく様変わりした。国枝の影響により、周りの選手たちの技術も向上していった。そして、車いすテニスは、ショット、チェアワーク(車いす操作)、試合展開など、全てのスピードが上がっていった。4年前とは別次元になったといっても過言ではない。
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2012年、ロンドンパラリンピックの年には、だれが金メダルを獲得してもおかしくない情勢となっていた。さらに、国枝は2012年2月に肘の手術を受け、国内外を転戦する車いすテニスツアーに復帰できたのは5月。9月のパラリンピックまで4ヵ月を切っていた。そうした厳しい状況の中、国枝は世界ランキング2位でロンドンパラリンピックに臨み、シングルス決勝に駒を進めたのだった。
決勝の相手は世界ランキング1位のステファン・ウデ(フランス)。強打を武器とするウデは、幾度となく国枝と対戦してきたライバルだ。国枝が2008年1月から2010年11月まで、106連勝という記録を打ち立てたが、その連勝を止めたのもウデだった。
9月8日、男子シングルスの決勝、オリンピックパークにあるイートンマナーのセンターコートの上空は夕焼けでピンク色に染まっていた。
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試合の立ち上がり、国枝は落ち着いたプレーを見せていた。ウデのサービスゲームを2度続けてブレークし、4−1とリードを広げていたが、その後続けて2ゲームをウデに連取され嫌な流れになりかけた。だが、第8ゲーム、その流れを止めるかのように、攻撃的なフォアハンドのストロークがオンラインに突き刺さり、5−3とする。第1セット6−4、第2セットも常に優位に試合を運んだ国枝が6−2で奪い、パラリンピック2連覇を達成した。
2月に手術を受け、4月にようやくラケットを持ち、5月にツアー復帰、そこからのパラリンピック優勝は、強靭なメンタルを持つ国枝だからこそ成し得た偉業だろう。
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~長いトンネルを抜けて完全復帰~
2018年1月27日、メルボルン・パークのマーガレットコートアリーナで行われた全豪オープン決勝に、国枝は世界ランキング5位、挑戦者として臨んでいた。決勝の相手は、全豪オープンの決勝で5度顔を合わせている因縁の相手・ウデだった。
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セットカウント1−1で迎えたファイナルセット、2−5とウデにリードを許し、第8ゲームでマッチポイントを握られた。だが、ウデのミスに助けられて3−5とする。
続く第9ゲーム、ウデのサービスゲームで、国枝は2本のリターンエース、フォアハンドのウイナーなどでポイントを重ねた。さらに、国枝の代名詞ともいえるバックハンドのダウン・ザ・ラインも決まりブレークに成功した。このゲームで国枝は覚醒したといっていいかもしれない。第10ゲームでもウデに2回のマッチポイントを握られたが、そこもしのぎ、最後はタイブレーク6−3で9度目の全豪タイトルを手にした。
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2016年のリオパラリンピックでは、金メダル候補として最も注目されていたにもかかわらず、肘の故障の影響で準々決勝敗退となった国枝。パラリンピック後も、ほぼツアーに復帰することなく、世界ランキングは10位にまで下がった。しかし、逆境にもめげないのが国枝だ。そのころから、国枝は肘を痛めないフォームの改造に取り組み始め、そのために、2017年もツアーで勝てない日々が続いていた。
グランドスラムの優勝を果たしたのは、2015年の全米オープン以来。2年4ヵ月ぶりにトロフィーを掲げた国枝は、試合後に普段はあまり見せない涙を流した。肘の手術、痛みの引かない日々、フォームの改造、試合で使えるまでに磨き上げること。それがいかに苦しく長い道のりだったかを物語っていた。
本人はのちに、この全豪を「本当に忘れられないグランドスラムになった」と振り返っている。
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そして、2020年1月の全豪でも、2年ぶり10度目の優勝を果たし、東京パラリンピックで国枝が活躍する姿をだれもが想像していたに違いない。だが、今シーズンは、まずは新型コロナウイルスの感染が収まり、世界中で日常の生活が戻ることを選手たちも望んでいることだろう。東京パラリンピック後について「まだまだテニスライフは続くよ、どこまでも」と語っていた国枝。そんな国枝のパフォーマンスが、日本や世界のファンを魅了する日が一日も早く戻ってくることを願う。
※世界ランキングは当時
ライター 酒井朋子
2003年から車いすテニスの取材を始め、アテネ、北京、ロンドンパラリンピックを取材。2015年の『有吉&マツコの怒り新党 お正月SP』(テレビ朝日)に有識者として出演した。著書に『恋したひとは車いす』(徳間書店)
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