ブラインドスイマー富田宇宙、東京パラで見せたい成長の軌跡

パラサポWEB / 2020年6月2日 20時15分

「成長できる部分はまだ山ほどある」――世界パラ水泳選手権の400m自由形と100mバタフライでともに銀メダルだった富田宇宙(S11/視覚障がい)は闊達な口調で語る。16歳で進行性の目の病気が発覚、宇宙関係の仕事がしたいという夢や学生時代に没頭した競技活動を一度は断念、ひたすら自己ベストを追い求めて泳ぎ続けてきたパラ水泳では突然、障がいの重いクラスへの変更を告げられた。そしてメダル候補として期待されている東京2020パラリンピックは延期。幾度となく大きな変化を経験してきた遅咲きスイマーが伝えたいこととは?(インタビューは4月下旬にリモートで実施)

初めての世界選手権で得た教訓

2019年9月にロンドンで開催された、世界パラ水泳選手権。東京2020パラリンピックの前哨戦として重要なレースである。富田はシーズン前半の故障を乗り越え、4種目に出場。100mバタフライは日本の木村敬一とワンツーフィニッシュの偉業を果たし、400m自由形では大会直前の時点で世界ランキング首位だったが、同2位のロジャー・ドルフマン(オランダ)に敗れた。

400m自由形で2位に入った富田宇宙(左)と1位のロジャー・ドルフマン(中央)

富田宇宙(以下、富田) 世界選手権は初めての大舞台で、思うようなレースができなかったように思います。緊張感もこれまでにないものでした。以前の大会はあくまでトレーニングの一環という感覚で出場していたんですが、世界選手権は結果を出すことが最優先ですから、レース当日までのピーキングを、これまでになく長い期間行いました。その結果、経験したことがないくらい身体がよく動いて、泳ぎのコントロールがうまくできませんでした。銀メダル2つは及第点かもしれませんが、欲を言えば金メダルが欲しかったですね。

実際、ロンドンの会場で泳いだ直後にも富田は、「うまくいかなかった」「もっといいレースができた」と言って悔しさを露わにしていた。しかし、悔しさと同時に別の感情も湧いてきたという。

富田 アスリートとしてだけでなく、1人の人間として魅力的な選手が多くて、彼らと競うことが純粋に楽しかったですね。海外のトップ選手たちは、競技を心からエンジョイしているように見えました。人生の中で水泳に重きを置きつつも、全体的に見ればひとつのアクティビティという位置づけで水泳をしているのか気負いがない。生活の充実と水泳選手としてのレベルアップを両立しているから、モチベーションを維持できるし、だからこそ、結果もついてくるんだなって。彼らの生き方を見て、こういう選手たちと競争していきたいという思いを強くしました。

世界選手権で戦ったライバルたちともう一段階上のレースをしたい――帰国後あらゆることを見直した。練習拠点としていた日本体育大学の水泳部から離れ、現日本代表監督の上垣匠コーチに師事。東京パラリンピックでの勝負を見据えて、身体改造にも着手し、泳ぎのフォームも改良を重ねている。

世界選手権で活躍した富田の泳ぎ(=左、右は木村敬一)

富田 泳ぎ方は、変えていない部分の方が少ないくらいですね。例えば、ストローク1回あたりの推進力を高めるための練習をしています。言い換えれば、これまで小さなギアでピッチを重視して泳いでいたのが、大きなギアでゆったりと進むフォームへの変更です。

結果的に、50mあたりのストローク数もかなり少なくなりました。感覚としては、体の末端で水をつかむのではなく、体幹で水を捉えていくイメージですね。外出自粛期間も自宅でチューブを引っ張ってストロークと同じ動きをしていますが、もちろんそのフォームを意識して行っています。

幼少から目が見えていない選手は健常者のような泳ぎをするのは難しいとされているが、16歳で目の病気の診断を受けた富田は、それまでに比較的効率の良いフォームを既に身につけていた。しかし、見えない状態に試行錯誤しながら練習を積むにつれて、衝突のリスクなどから無意識にフォームはコンパクトになっていった。縮んだフォームにおおらかさを加えることで、推進力を強化しようという考えだ。

クラス変更で一躍「メダル候補」も、意志は不変

富田がパラ水泳と出会ったのは2012年のことだ。高校で水泳に区切りをつけた後、視覚障がいがあっても健常者と変わりなくできると思い、大学では競技ダンスに打ち込んだが、網膜色素変性症の症状は悪化の一途を辿り、大学卒業頃から次第に競技継続が困難になっていった。そんな折に出会ったパラ水泳は、富田に少しずつ活力を与えた。東京パラリンピックの開催決定も背中を押し、S13(視覚障がい/軽度の弱視)クラスのスイマーとして競技に没頭。しかし、2016年のリオパラリンピックへの代表権を逃し、2017年の世界選手権も、当初は代表選考から漏れていた。

富田 世界選手権の代表から漏れたことで、S13クラスでパラリンピックに出場するのは厳しいと思い始めていました。実はその頃、パラトライアスロンへの転向を検討していて、9月のパラ水泳の世界選手権に出場できなかったら、タイでトライアスロン合宿をしてから、日本でレースに出てみる計画でした。

そんな折に再クラス分けを受験、予期せぬクラス変更を告げられた。病気の進行に伴い、S13クラスから、視覚障がいで最重度のS11(全盲)クラスへと変更になったのである。

S11クラスではブラックゴーグルを着けて泳ぐ

富田 思っていたよりも早い時期のクラス変更で、正直戸惑いました。当時の日本代表監督から「明日からのレースで世界選手権の派遣標準記録を突破すれば、今からでも代表に追加招集される制度がある」と聞かされて。急に何を言っているんだろうと(笑)。

仲の良かった木村敬一選手(S11)からは、「これあげる。頑張ってね」とブラックゴーグル(※)をプレゼントされて、何も見えない状態でいきなりプールに飛び込むことになったんです。怖さなんて感じる間もなく、コースロープに何度もぶつかりながら、痛みに耐えて泳ぎました。体もアザだらけで、周りから同情されていましたね。

※ブラックゴーグル:S11クラスの選手が着用する光を通さないゴーグル。同じクラスでも選手によって見え方が異なるため、公平に競技を行うために使用する。

S13クラスでは代表レベルに満たなかった富田の泳力は、S11クラスでは一転して世界トップクラスとなった。クラス変更直後のジャパンパラ水泳競技大会では、400m自由形で当時の世界ランキング1位の記録をマークするなど躍動。代表に滑り込んだ2017年の世界選手権は、開催地メキシコの震災の影響で幻となったが、一躍、東京パラリンピックのメダル候補に躍り出たのだった。

富田 クラス変更後から一転して「メダル候補」と言われるようになりましたが、自分自身を見失わないように意識しています。常に向上し続けたいという思いは、クラス分けの前後で変わることはありません。

障がいが進行したことで、日常生活は着実に不便になっていますが、競技の面では幸運だったと言わざるを得ません。だからこそ、この機会を活かさなくてはいけない。恥ずかしい泳ぎはできない、という責任感を持って日々の練習に取り組んでいます。

オリンピックとは違う“パラリンピックの魅力”を伝えたい

富田は自身の競技を通じて、「パラスポーツの深み」を伝えていきたいと話す。

世界選手権を経験し、「水泳が楽しくなった」という富田

富田 オリンピックが“ゼロから100を目指す競技”だとすると、パラスポーツは“マイナス100から100を目指す競技”だと思っています。その道のりの中に、オリンピックとは全く違う魅力があるはずなんです。

ゼロから上の部分だけではなく、マイナス100からゼロの部分に焦点を当てることで、選手たちの“深み”に気づくことができるのではないかと僕は考えています。選手自身の苦労や、社会で味わってきた困難。そこにあえて目をつむることなく、本人の「人生の幅」として伝えることができれば、パラスポーツの面白みがより伝わるのではないか、と。

延期となった東京2020パラリンピックは、2021年8月24日に開幕予定だ。開催時点で32歳となる富田は、「体力的にしんどい」と苦笑するが、目標がブレることはない。

富田 僕のモチベーションは、自分の成長を実感すること。水泳はそのための手段でもあります。例えば外出自粛でプールが思うように使えないときでも技術面で取り組むところはたくさんあるし、延期になった1年間で取り組んだことを、必ずプラスにしたいと思っています。東京パラリンピックは、自分の成長を確認する大会にしたい。その結果としてメダルがついてきたら、最高ですね。

止むことのない課題の模索と改善を繰り返したのち、富田は大舞台でどんな姿を見せ、どんな発信をするのだろう。言葉の端々にエネルギーをみなぎらせるブラインドスイマー富田宇宙は2021年夏、日本を代表するパラアスリートになる。

text by TEAM A

photo by X-1

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