部活少女からパラリンピアンを目指す! 車いすテニス界のホープ
パラサポWEB / 2020年8月11日 15時58分
仲間思いのしっかり者。東京2020パラリンピックを25歳で迎える田中愛美と話していると、テニスラケットを抱えニコニコと、しかし、言うべきことはびしっと伝える頼れるキャプテンだったのだろうな、という印象を持たされる。そんな部活少女が、事故で車いす生活を送るようになってから、なぜパラリンピックのメダルを目指すようになったか、道のりを聞いた。
中学で始めたテニスに熱中熊本生まれの埼玉育ち。田中が通った中高一貫の富士見中学校高等学校は、東大生も輩出する女子の学び舎だ。中学生の伝統のセーラー服は可憐で近隣には憧れる人が多い。田中が硬式テニスを始めたのは、この制服がきっかけだった。
田中愛美(以下、田中)中学受験で太ってしまい制服を採寸するとき「あら、キューピーちゃん体形ね」と言われたんです(苦笑)。そこで運動部に入ることに決め、テニス部へ。でも経験者がけっこういたので、こっそりテニススクールにも通ったんですよ(笑)。悔しがり屋か、ですか? どうかなあ。今、隣で岩野(耕筰)コーチは、めっちゃ頷いてますけど(笑)。
編集注:インタビューは7月下旬にオンラインで実施
世界のツアーを転戦し、ランキングポイントを稼ぐ田中 photo by Getty Images Sportテニスの実力は「地区大会でベスト4に全然入れないレベル」だったそうだが、田中にとって部活は生活の大事な一部になっていく。中3のときには、80人もの大所帯を束ねるテニス部のキャプテンを務めた。
田中 青春感っていうのかな。みんなで休みの日も練習して、遠くへ試合をしに行ったり、帰りに買い食いをしたり、小学生とは違う体験をして、少しずつ大人になっていく感じがよかったんですね。キャプテンになったときは、新入生の名前を覚えるのが大変で。紙に全員の名前を書いて覚えていました(笑)。
人生の転機になったのは、高1の冬だ。自宅の凍った外階段で滑り、お尻から落ちて脊髄を損傷。4ヵ月に及んだ入院生活のなかで、田中は自身が両下肢のまひで、おへそから下を動かせなくなったことを知る。「もちろん受け入れられない時期もありました」と田中は打ち明ける。
インドネシア2018アジアパラ競技大会に臨む記者会見田中 高等部でもテニスを続けていたので、どうしても部活に戻りたい! という気持ちがあったんですよ。だから、単位や進路をどうしようとバタバタしてて、幸い、悩む時間が少なかったんです。部活に関しては、顧問の中島(弘貴)先生が「プレーヤーとして戻ってきなさい。環境もなんとかするし」と言ってくださって。学校も急遽、多目的トイレやスロープを作ってくれました。
中島顧問は、「障がいがあってもやれることはたくさんあるし、希望を捨ててほしくなかった」と当時の思いを振り返る。ひたむきな田中には、同じように思う仲間がたくさんいたのだろう。こうして、無事、復学を果たした後は、他の生徒と一緒に体育の授業を受けたり、体育祭の創作ダンスでは見せ場をしっかり作った。部活動では、私立高の大会にも出場。こうした充実の日々が、田中に大きな決意をさせることになる。
田中 本当に普通の女子高生として過ごせたので、感謝の気持ちは普通のことをするだけでは伝えきれないと感じたんです。「マナミの友だちでよかった」と言ってもらうために、高3のとき、開催が決まったばかりの東京パラリンピックに出場しようって。そのためには、世界で活躍する上地結衣選手がそうだったように、私も学業との両立とかを選ばず、テニスだけにかけなければと思い、一度は入学した大学も辞めて競技優先の道を進むことにしたんです。
競技者として世界へ高校卒業後、田中は練習に専念し、2年目の2016年には、現在のブリヂストンスポーツアリーナに移籍する。より練習に打ち込める環境が用意され、高校時代から世話になっている岩野コーチもいた。すると2016年には仙台、大阪、台湾の大会でシングルス3勝。世界国別選手権の日本代表にも初めて選ばれた。
田中 始めはボールをコートに入れる練習をしつこくやっていました。苦しいとき、無理に打ってしまいがちだったんです。それとスライスを基礎からきっちりと。あるとき、岩野コーチが私がまったくスライスを打てないことに気づいたんです(苦笑)。
2016年からブリヂストンスポーツアリーナに所属し、競技中心の生活を送るだが、これがのちに功をもたらす。イチから学んだスライスは、田中が持ち味にする強烈なフォアストロークを引き出す武器になった。
田中 バックスライスは、弾まないのできっちり打てれば、相手が持ち上げて打ってくる確率が高い。そこを狙って、フォアの体勢で入って打ちこむのが得意な展開です。今では、切羽つまった場面でもバックスライスだけはダメにならない自信があります。
こうして実力を蓄えると、世界ランキングも上昇。2015年は41位だったが、2018年には10位に上がった。この間、自信を蓄えた試合も少なくない。その一つが2017年8月、グランドスラム、スーパーシリーズに次いでトップクラスが集うITF1カテゴリーのバーミンガム大会。ダブルスで決勝へ進出した。
田中 相手は強豪のイギリスとドイツのペア。上地選手と組ませていただいたんですが、グランドスラムに出場する強豪のなかに、なぜか世界ランキング18位の私が交じっていたんです(苦笑)。当然、9割方、私が狙われて、上地選手にも「もっと攻められない球を!」と言われ、テンパりながらの試合でした。でも、あのなかにいたことが自信になって……。試合の流れに合わせたゲーム展開の仕方とか、とても勉強になったんです。
秘めるのは仲間への感謝の思い現在、世界14位。2019年にグランドスラム出場という目標は果たせなかったが、世界で戦い始めて7年目になり、目指すプレースタイルは、はっきりと見えてきている。
田中 先手必勝のテニスです。やられる前に先にやるっていうスタイル。たとえば上地選手はベースラインより後ろに下がって大きく回って、という守備的なスタイルですが、私は上地選手よりもネット寄りで攻める攻撃的なスタイルなんです。
これから車いすテニスを始める人たちに、こういうスタイルもあるんだって、選択肢の一つとして見てもらいたいし、勇気を持って攻めに行く私らしいプレーを見せられれば、応援もしてもらえるかなと思っているんです。
攻撃型スタイルで再び世界ランキングトップ10を目指すそして、高校生のときから目標にしてきた東京パラリンピックが、2021年に延期になったことを、田中はどう受け止めているのだろうか。
田中 時間的な余裕ができたと、前向きにとらえることができていますね。正直、2020年だったら間に合ってなかったかもしれない……。だから、この時間を使ってお世話になった人たちが「マナミの友だちでよかった」と思ってもらえるように、メダルを目指して技術を磨きたいです。
――インタビューの締めくくりに出た言葉は、やはり仲間への思いだった。大好きな人たちへのピュアな「ありがとう」という気持ち。それが田中が強くなりたいと思う原動力なのだ。この愛情を胸に、田中はメダルを目指して走る。
text by Yoshimi Suzuki
photo by X-1,Haruo Wanibe
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