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「諦められない夢」卓球・茶田ゆきみが語る、東京パラへの思い

パラサポWEB / 2020年11月19日 14時13分

茶田ゆきみにとって、パラリンピックという夢は、常に人生の道しるべだった。金銭面の考慮などから世界を目指すと公言することを我慢した時期も、国際大会で世界のレベルを思い知らされて涙を流したときも、夢が心の中から消えることはなかった。「勝手に運命を感じている」という舞台、東京2020パラリンピックにかける思いを聞いた。

公言をためらう中でも消えなかった憧れ

パラリンピックを初めて意識したのは、全国障がい者スポーツ大会で優勝した中学3年のときだった。2008年の北京パラリンピックを目指そうと無邪気に憧れた。しかし、夢を目標として捉えるようになると、次第にパラリンピックという夢を公言することにためらいが生まれた。

茶田ゆきみはパラ卓球の女子・車いすのトッププレーヤーだ

茶田ゆきみ(以下、茶田) 現実的に考えたとき、海外遠征などでお金がかかると気づきました。9歳で車いすの生活になってから、親には心配や苦労をかけていたので、お金を出してもらうのは申し訳ないという気持ちもありましたし、海外遠征に対する体力面の不安もあり、次第にパラリンピックを目指すということは、言わなくなりました。

競技を続ける中、心の奥に封印していた思いが蘇ったのは、2012年に国内最高峰の大会である国際クラス別パラ卓球選手権の優勝がきっかけだった。

茶田 当時の日本代表コーチから「パラリンピックを目指しませんか」と声をかけられて、そのときに両親が「やりたいなら協力する」と言ってくれました。何がしたいのか迷ったり、劣等感を抱いたりした時期もありましたが、パラリンピックに出たいという思いは、消せる気がしなくて、ずっと心の奥にあったので、やっぱり挑戦したいという気持ちになりました。

いつもパラリンピックという夢が、一歩先へ踏み出す力を与えてくれた。負けず嫌いだが、少し引っ込み思案。世界を目指す戦いを始めた後も地元の静岡で生活していたが、2015年に国際大会デビューを果たした翌年、思い切って上京して一人暮らしを始めた。

茶田 地元の熱海市に近い沼津市で働いていたのですが、社員さんが「こんな求人を見つけたよ」とパラアスリートを雇用して支援する企業の求人広告を見せてくれました。普段、一歩踏み出せない性格で「東京か……」と思ったのですが、国際大会に出るようになり、世界で勝つためには練習環境を整えないといけないと感じでいたので、思い切って上京しました。

会場を飛び出すほどの悔しさが進化のきっかけ

2015年の韓国オープンで銅メダルを獲り、順調なスタートを切ったが、翌年、世界のトップ選手が集うスロベニアオープンで世界のレベルを思い知らされたことは、その後に大きな変化を与えた。

茶田 すごい選手がいる中で、ボロボロに負けて、格好悪いというか情けないというか……そういう思いが込み上げて、会場にいられずに外に飛び出しました。でも、そのときに「この人たちにいつか絶対に勝ってやる」という気持ちになりました。

競技を始めてから「これだけは自信が持てる」と武器にしてきたのは、バックスピンをかけて相手のミスを誘う「ツッツキ(突っつき)」と呼ばれる技だった。しかし、ツッツキやレシーブだけでは、世界と渡り合えないと知り、プレースタイルを大きく変えた。

茶田 課題は、攻撃力でした。それからは、攻撃的なドライブ回転の球やスマッシュを練習に多く取り入れました。1年後のスロベニアオープンでは、格上の選手に勝つことができました。2016年と2017年の大会の映像を比べてデータを見ると、自分から攻めるプレーが明らかに増えていましたし、成長を感じることができました。

卓球とパラリンピックに感じる運命
東京パラリンピック出場への思いは人一倍強い

国際大会の経験を積み、世界ランキングは14位まで上昇。10位まで上げれば、自力でパラリンピックの出場権を獲得できる。そんな状況だった2020年3月、大会が続々と中止となり、東京パラリンピックも延期。新型コロナウイルスの世界的まん延で状況は一変した。

茶田 予定していた大会がなくなり、世界ランキングでの出場権獲得ができなくなりました。自力で出場権を獲得するためには、世界最終予選で優勝しなくてはいけなくなったのですが、その開催も未定だったので(2020年5月から2021年4月に延期)、すごく不安でした。でも、応援してくれる家族や友人が心配や応援のメッセージをたくさんいただいて、励まされました。

パラリンピックは、決して諦められない夢だ。中学1年で卓球に出会って以来、卓球は生き甲斐となり、パラリンピックに出たいという思いで常に前進してきたことに、運命を感じている。

茶田 地元の先輩がパラ卓球のボランティアをしていなければ「車いすでもできるから一緒にやろう」と誘ってもらっていなかったかもしれませんし、東京に出てきたのも、同じ会社の人が求人を見つけてくれたから。卓球を一生懸命にやり始めた時期に、パラリンピックの開催地が東京に決まる……。車いすの生活になったことも含めて、すべてが、パラリンピックを目指すという運命でつながっていたんじゃないかと感じてしまいます。縁や人に支えられて導かれてきたので、絶対に出場したい。そこで頑張っている姿を見せることが恩返しになると思っています。出場権獲得が今の目標ですけど、目指しているのは、世界のトップでメダルを獲得することですし、獲るなら一番の色が良い。世界で一番を獲るくらいの気持ちでやらないといけませんし、そこを目指してやっています。

恩返しは、知っている人に対するものだけではない。9歳で原因不明の病気になり、両足の感覚を失ったとき、毎日泣いていた少女に元気を与えたのは、車いすバスケットボールの選手たちだった。スポーツの楽しさと、一生懸命な姿は、脳裏に焼きついている。

撮影ではラケットを手に笑顔を見せた

茶田 小学4年で、ずっと車いすの生活になると宣告を受けたときは、毎日病院で泣いていました。そんなとき、病院の先生が車いすバスケットを観に連れ出してくれたんです。選手がいきいきと動いていて、車いすでもこんなにできるんだとすごいパワーをもらいました。それからは、障がいを受け入れて前向きになれました。同じような力を与えようとして与えられるわけではないですけど、病気になったときの私のように、誰かの頑張ってみたいという気持ちになれたら、すごくうれしいです。

東京パラリンピックには、バイパルタイト(推薦枠)で出場できる可能性もあるが、当面の目標は2021年4月に行われる世界最終予選で優勝し、自力で出場権を獲得することだ。そして、自らを導いてくれた舞台で頂点を目指す。生来の負けず嫌いと、周りから得た力への感謝が、大きな目標に向かう中で今、形になろうとしている。

text by Takaya Hirano

photo by Hiroaki Yoda

撮影協力:T4 TOKYO

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