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【パラアスリートの競技環境】一流選手がプロ挑戦を選ぶ理由

パラサポWEB / 2021年4月14日 15時41分

パラアスリートが「オリンピックと同等に扱われたい」と競技環境改善を叫んでいたのは今は昔なのかもしれない。最近では日本でも国や企業のさまざまなバックアップでトップ選手が競技に集中できる環境が整ってきた。とりわけスポンサーが集まりやすい状況は、東京パラリンピック閉幕後にはじけることを前提とした「パラバブル」とも揶揄される。そんな状況に一石を投じるのが、プロという道を選択したトップ選手たち。“パラリンピックの顔”でもある彼らが覚悟を持って新しい時代を切り拓いていく姿を追った。

プロ選手のモデルケースを示した車いすテニスのレジェンド

2009年4月。都内で行われた「車いすテニス・国枝慎吾選手 プロ転向記者会見」には、当時では異例ともいえるテレビカメラ8台、記者50人以上が駆けつけ、当日のスポーツニュースでも扱われた。

「テニス一本で生活していくことは厳しいと覚悟している。それでも、自分自身の可能性にチャレンジしたい」。そう背筋を伸ばして語ったパラリンピック金メダリストは、その3ヵ月後、ユニクロと所属契約(メインスポンサー)を結び、競技中心の生活に身を置く基盤を整えると、2012年のロンドンパラリンピックで見事、シングルスの連覇達成。当時のパラスポーツ界に大きなインパクトを与えただけでなく、パラアスリートもスポーツ選手として大会の賞金やスポンサー契約料で生計を立てる道があることを世間に証明して見せた。

大学職員だった国枝は金メダルを獲得した北京パラリンピック後に「よりテニスに専念できる環境に身を置きたい」とプロ転向を決めたphoto by Asuka Senaga 道を切り拓いた陸上競技のプロ選手たち

さらに振り返ると、国枝以前にも複数のパラアスリートがプロに挑戦してきた。夏冬パラリンピックの金メダリストで車いすアスリートの土田和歌子は2001年から企業の協賛金を得て活動しており、そのパイオニアと言われる。今なお現役で輝きを放ち、東京パラリンピックは陸上競技とトライアスロンの2競技で出場を目指しているが、競技生活の紆余曲折とともにスポンサー獲得への不安は常について回ったと聞く。

プロ宣言から10年で走り幅跳びの世界女王に輝いた中西麻耶(写真中央)=ドバイ2019世界パラ陸上競技選手権大会photo by Getty Images Sport

2009年にプロ宣言した陸上競技の中西麻耶も、苦節を経てきたひとり。資金難で2011年に行われた世界選手権への出場を断念したこともあったが、現在はサプライヤーを除いても7社とスポンサー契約を結んでおり、数少ないプロ選手のモデルケースとなっている。だが、そんな人気選手といえども、現実は厳しい。2019年に走り幅跳びで悲願の世界女王に輝いた後、新規のスポンサー契約は実現していない。

とはいえ、コロナ禍でも継続してくれるスポンサー企業に頼もしさも感じているようで「ずっと応援していただいている企業との結束はより強くなったと感じています」とは中西の弁。

そして、中西と同じ義足のロングジャンパーの山本篤も2017年、冬季競技との二刀流に挑戦する過程でプロに転向した。翌2018年にはスノーボードで平昌パラリンピックに出場する目標を実現させ、アスリートとしての価値を高めている。メディアにも積極的に露出するようになり、所属契約を結ぶ新日本住設との契約金額や金メダル獲得時の報奨金額も公表。後に続く若い選手たちのモチベーションともなる、ひとつの生き方を示している。

沖縄県・読谷村で行われた合宿で若手選手らと会話を交わす山本篤photo by X-1 プロでなくても競技に専念できる現状

他方、団体競技を見渡してみると、企業から雇用されることなくプロとして収入を得ているパラアスリートは稀かもしれない。これは個人競技にも当てはまるが、日本には障がい者の雇用を推し進めるための「障害者雇用率制度」がある。この制度によって障がい者の雇用率未達成の事業者に納付金が課せられるため、障がい者雇用の一環として「障がい者アスリート雇用」を取り入れる企業が増えているからだ。

とくに選手たちを取り巻く環境が大きく変わったのは、東京パラリンピック開催が決まった2013年以降だ。車いすラグビーや車いすバスケットボールは、アスリート雇用の選手が増えたことで2012年のロンドンパラリンピック前にはほぼなかった平日の代表合宿も、2016年のリオパラリンピック前には珍しいことではなくなった。練習時間が充分に確保されるようになったのはもちろんのこと、実は遠征費や用具などの活動費を所属企業が負担する例も多い。競技に専念したい多くの選手にとってはプロになる必要性がないのが現状だ。

そんななかで存在感を示しているのが車いすバスケットボール唯一のプロ・香西宏昭。アメリカのイリノイ大を卒業後、ドイツに渡り、ブンデスリーガでプロ選手として活躍した。東京パラリンピックに向けた日本代表チームの活動に主軸を置くために現在は帰国しているが、2013年当時、日本人ではほとんど前例のなかったヨーロッパリーグ参戦をプロという選択をすることで実現させた。パラアスリートが海外で武者修行することが珍しくなくなった昨今、たとえ不安定でも強くなりたいという一心でプロになった香西からはその自信と誇りを感じさせる。

プロ選手と共に歩むスポンサー企業

「パラスポーツの認知度アップのためにどんどん発信していきたい」――今年2月、プロ表明の記者会見でこう話したのは、陸上競技4種目の世界記録保持者・佐藤友祈。東京パラリンピックを前に、実業団チームから飛び出した。

「東京パラリンピックの金メダル候補がコロナ禍になぜ?」と興味を持ったのが所属契約を結ぶことになった株式会社モリサワだ。日本障がい者スポーツ協会のスポンサーであり、競技団体のスポンサーもしていた同社も、かつてアスリート雇用を検討していた。しかし、模索していた2019年頃、実績のある選手はすでに他社と契約を結んでいる状況だった。

同社で東京2020推進室の室長を務める白石歩さんは、一企業の担当者としてジャパンパラなどに足を運ぶうちに、パラスポーツの奥深さに魅了されていった。「東京パラリンピックを契機に、佐藤選手とパラスポーツをもっと広めていく活動をできたら」。社会貢献ではなくスポーツ選手として佐藤と契約したい思いを強くした。

photo by X-1

社内の決議を取るため、東京パラリンピック開催時の広告効果をプレゼンしたが、契約を結ぶ合意に向けた役員会は一筋縄にはいかなかったと明かす。

「彼はアスリートらしく、ストレートに言葉を発し、こびることもしない。今でこそ、そんな人柄も語れるんですが……、『ほかのパラスポーツのスポンサーもしているのに、まだ手を広げるのか』という反対意見も飛び交い、それはもう苦しかったですね」

激論の末、モリサワと佐藤は複数年の所属契約を締結するに至った。

東京パラリンピックを前に、パラスポーツにもプロ選手が増えてきた。だが、その背景には、ただ競技環境を良くしたいだけじゃない、選手や企業関係者の「パラスポーツを変えたい」という情熱がほとばしっていた。

東京パラリンピックの開催が迫り、新型コロナウイルスの影響もある中で、スポーツ界の先行きが見えにくい状況ではあるが、プロとして競技に挑戦していく姿はパラアスリートの価値を高めていると言えるだろう。

text by Asuka Senaga

key visual by Morisawa Inc.

ライター 瀬長あすか

2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、2004年のアテネパラリンピックから本格的にパラスポーツ取材をスタート。2015年から「パラサポWEB」エディター兼ライター。

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