「できない」は考えない。笑顔に秘めるトップスイマーの矜持
パラサポWEB / 2021年7月6日 13時8分
大きく回した腕で水をかき、足で力強く水を蹴って前へ進む。全身で波を打つように進むバタフライという泳法が描く軌跡は、西田杏の水泳人生そのものだ。浮いては沈み、また浮き上がって、前へ進む。偉大な先人との出会いを通じて強く憧れたパラリンピックへの出場も「水泳人生で一番きつかった出来事」からの再挑戦でつかんだ舞台だ。
パラリンピックへの憧れが芽生えた高校時代水泳を始めたのは、小学生の頃。みんなと一緒に授業を受けたいからだった。先天的な上下肢障がい(左腕上腕欠損、右足大腿骨欠損)があるが、とくに不便を感じたことはないと言い切る。何より、自分にはできないと思わない気質だ。
西田杏(以下、西田)小学校の水泳の授業は、低学年の頃は水遊びのようなものでしたけど、楽しかったです。だから、障がいが理由で見学にさせられたら嫌だなと思って水泳を始めました。誰かができることなら、自分にはできないと思いません。親も「障がいがあるから助けてあげないと」とか「危ないからダメ」というのがなく、子どもの頃からいろいろ経験させてもらって、こういう性格になれたと思っています。
子どもの頃からスポーツが大好きだったという西田中学生の頃は、学校では卓球部。自転車で町を走るのも好きだった。スポーツ少女は「50mプールがある」という理由で、川越女子高校に進学し、水泳部に所属した。健常者の仲間との切磋琢磨で力をつけ、好記録をマーク。国内トップクラスの障がい者スイマーがいるクラブチームに誘われ、そこで世界という目標を意識した。
西田 一番尊敬しているのは、(北京パラリンピック50m平泳ぎ金メダリストで日本代表キャプテンの)鈴木孝幸選手。高校生の頃は何も知らず「パラリンピックに出たい」とか「メダルを獲りたい」と簡単に言えてしまうんです。そんなときに、タカさんが「本当に? じゃあ、今、何をやるべきなの?」って愛情のある厳しさで教えてくれて、簡単に言ってはいけないなと思いました。しっかりと自分を持っている人で、どうすれば近づけるか、すごく考えるようになって、次第に、とにかく速く泳げればいいという考えではなく、私も周りの人が見ていて応援したくなるような選手になりたいと思うようになりました。
世界を目指す選手としての努力を続け、希望が見えたのは、高校を卒業した2015年のことだった。バタフライの泳法を両腕から片腕に変更すると、クリアできなかった世界選手権の派遣記録を切れた。日本記録を更新し続け、2016年リオパラリンピックの出場資格となる参加標準記録も突破。しかし、日本代表選考会で派遣基準記録を破れず、代表には選出されなかった。
誰よりも強い気持ちで頑張れた、東京への挑戦西田 右腕だけで泳ぐようになって記録が伸びて、リオを本気で目指していました。でも派遣基準に届かず、推薦でも参加資格を持つ10人から選ばれる7人に入れませんでした。水泳人生で一番きつかった出来事です。でも、それがあったから、誰よりもパラリンピックに強い気持ちを持って練習ができました。もう、あんな気持ちはしたくないという思いでやって来ました。
しかし、再挑戦は厳しい道のりだった。翌2017年世界選手権の出場権を獲得したが、開催地メキシコが地震に見舞われて大会は延期。日本は派遣を断念した。2018年には泳法改正が行われ、片腕でのバタフライを禁じられて成績が落ち込み、代表入りを逃した。
西田 リオに行けず、半年くらいは、うじうじとした気持ちで過ごしていましたが、次の4年間を振り返ったときに、ほかにできることはないと言い切れるくらいに頑張ろうと気持ちを切り替えました。だけど、泳法改正があって、世界で戦える種目がなくなってしまいました。リオ落選、世界選手権の派遣断念、泳法改正の3大パンチで、どん底でした。
試練を乗り越えて東京パラリンピック内定を手にした苦境に立たされ、競技転向も視野に入れた。週末には始発電車で修善寺に向かい、自転車競技にも取り組んだ。思わぬ転機が訪れたのは、2019年2月。国際クラス分けで障がいが一つ重いS7クラスに認定されたのだ。パラリンピックにおけるS8のバタフライは100mだが、S7は50m。距離の短縮により、両腕バタフライでも勝負が可能になった。
西田 クラス分けをもう一度受けられるとは思っていませんでした。自転車競技の関係者の方々には申し訳なかったという気持ちがあります。ただ、結果的に、自転車の練習のおかげでキック力が強くなりましたし、得意だった500mタイムトライアルでバンクを思い切り漕ぐのが水泳より少し長くて40秒くらいだったので、瞬発力とパワーを身につけられました。
コロナ禍で驚異の記録更新ジャパンパラ競技大会では日本パラ水泳選手権に続き、自己ベストを更新した photo by X-1
クラス変更をきっかけに、再び水泳に専念した。コロナ禍でプールが使えない期間に、欠損している左腕を強化。自分の手で触って分かるほどに筋力を上げ、泳ぎのバランスを安定させた。さらに、中距離選手のような泳ぎ込みでスタミナも強化。3月の日本パラ水泳選手権大会で37秒74、5月の代表選考会で37秒01と日本記録を大幅に更新して東京2020パラリンピックの代表権を手にした。
西田 50mは、健常者だと21秒ですが、私は37秒。健常者の中距離に相当する運動時間になります。だから、前半のスピードを維持するための練習として、中距離選手のような泳ぎ込みをやっています。毎回、本当に心が折れそうになりますけど、おかげで記録が伸びていて、後半のラップタイムが確実に上がっています。
東京パラリンピックの出場資格獲得対象レースで出されたタイムのランキングで、西田の37秒01は世界6位に相当する。1位は33秒台、2位は34秒台と世界のライバルは強く、メダル争いに加わるのはハードルが高い。しかし、生来の負けず嫌いと、トップアスリートとしての矜持は、あらゆる否定的な可能性を排除し、力強く前に進む。
大舞台に向け厳しい練習に取り組む西田。充実感をにじませる西田 サポートしてくれた人たちがいたからこそ、つかめたパラリンピックの出場権。感謝の気持ちを持って、結果で恩返しをしたいです。偶然、レースの日が誕生日。自分の最高の誕生日プレゼントにしたいし、画面越しでも見てくれる人の心に残るレースができるように、頑張りたいです。今の自己ベストは37秒01ですけど、パラリンピックの予選の目標は、36秒3。その数字を毎日見て過ごしています。さらに決勝でタイムを上げたいです。メダルや順位という結果は、その後についてくるもの。私以上にコーチが期待をしてくれて、私以上に頑張ってくれているからこそ目指せるタイム。まだまだ、やれます。
選考戦の時点で、パラリンピックまであと3ヵ月。短期間で世界との距離を縮めるのは難しいが、西田は「3月から5月で自己ベストを0秒7も縮められた。今からパラリンピックまでには、もっと期間があります。できないとは思いません」と言い切った。まだできる、もっとできると鍛え続けて進化した姿を夢舞台で見せつける。
text by Takaya Hirano
photo by Hiroaki Yoda
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