スノーボード界のカリスマ岡本圭司、8位入賞は妥当だけど「最高!」の通過点
パラサポWEB / 2022年3月8日 8時45分
「雪上の格闘技」と呼ばれるスノーボードクロスの男子LL2クラス(下肢障がい)準決勝。岡本圭司は、世界王者で2018年平昌大会の金メダリスト、マッティ・スール・ハマリ(フィンランド)と同じ組でスタートを切った。
得意の階段状のセクションのあと進路をふさがれた岡本は、先行逃げ切りの形を作れず、4人中4位でフィニッシュ。表彰台の可能性が消えると、両手を合わせて「すまない」というようなポーズを見せた。その後の順位決定戦は見せ場を作るも4位。最終順位を8位としてこの種目を終えた。
「ここに懸けている」と公言していた種目で表彰台には届かなかったが、入賞は果たした。そもそも戦う前から岡本は、北京大会の目標について決してメダル獲得とは言っていない。繰り返してきたのは「ベストな滑りをしたい」。力を出しきった満足感からか、順位決定戦のレース後は、「最高! あー、楽しかったー」と笑顔をはじけさせた。
先行した選手に食らいつく 閉ざされた未来と、切り拓かれる未来岡本が見せる笑顔の奥には、傷ついた心を癒し、再生してくれたというパラスノーボードへの感謝の思いがある。19歳のとき、スノーボードに出会った岡本は、フリースタイルのカリスマ的なトッププロへと上り詰め、“魅せる”世界で輝かしい実績を残してきた。スノーボードのスロープスタイルは、2014年のソチ大会から正式種目になったが、「あと4年早かったら、僕が出ていた気もする」という思いも口にするほど、自他ともに認める実力者だった。
しかし、悲劇は突然訪れた。33歳だった2015年、撮影中の事故で脊髄を損傷し、「今後は車いす生活になる」と医師から宣告されたのだ。
「スノーボードこそ、自分の可能性を無限に広げてくれる存在」と信じていた岡本にとって、それは絶望ともいえる出来事だった。当時について岡本は、「生きる道を見失って、錯乱したみたいに泣き叫ぶ時期もありました」と語っている。
元トッププロの岡本だが、家族の支えもあり、右脚にまひが残るも少しずつ自力で歩けるようになると、徐々に目が外に向き始める。パラスノーボードに出会ったのはそんなときだった。2018年、全国障がい者スノーボード選手権に初めて出場。プロの経験から「絶対勝つやろ」と楽観的に臨んだが、全敗だった。
この敗戦が、岡本の心に再び火をつけることとなった。
スノーボードは思ったよりも奥が深い岡本は、パラ競技を始めた当時をこう振り返る。
「怖かったですよ(苦笑)。73kgの市川貴仁が、57kgの僕にがんがん体をぶつけてくるんですから。と同時にケガ後、初めて勝ちたいという気持ちも湧いてきたんです。初めてクロスを経験して上達する楽しさも思い出しました。そして気づいたらパラリンピックを目指していた感じです」
以来、強く感じているのは、パラスノーボードもまた、愛するスノーボード文化の一つだということだ。フリースタイル時代は、「カービング(ターンの一種)なんて、キッカー(ジャンプ台)とキッカーの間の移動手段くらいにしか考えてなかった」という岡本だが、「クロスに出会ってから、いろんな人にカービングの魅力を教えてもらい、より深くスノーボードを知ることができている」と話す。
スノーボード日本代表の岡本(スノーボードクロス予選)北京大会に向けても、「いかにきれいなカービングをするか」を追求した。スノーボードの操作は後ろ脚がキーになるが、その要の脚に障がいのある岡本は、つま先の向きや股関節の使い方を細かく変えて、体をどう使えば速さにつながるか、試行錯誤してきた。海外選手に比べて体が軽いため、緩斜面で競り負けるという課題もウエイトトレーニングで体重を増やし、なんとか克服を試みてきたという。
後輩たちがオリンピックで躍動、奮い立つ闘志こうした過程を経て迎えた、北京冬季パラリンピック。直前の北京冬季オリンピックでは、ハーフパイプ金メダルの平野歩夢をはじめとする後輩たちが躍動するのを見て、刺激も受けていた。
「みんな本当にいろんなチャレンジをしてカッコよかった。(ビッグエアの岩渕)麗楽は大技に挑戦し、歩夢は2回目、低い点数をつけられたけど、3回目でそれを上回る点数を出してきた。みんなからスノーボーダーマインド、攻めきる姿勢を感じましたね」
北京大会で岡本が一番見せたかったのも、そんな攻めきるカッコよさだ。もう以前のように高くジャンプしたり舞ったりはできない岡本だが、パラスノーボードの世界でも攻める姿勢、カッコよさは見せられると思ってきた。
スノーボードクロスで8位の岡本 ゴールはまだ先にあるレース後、笑顔だったのは、「自分は攻めきれた」という自負でもあるだろう。「5位から8位が自分にはまあ妥当かな」というコメントも残したが、これは岡本の戦いがここで終わりではなく、通過点だから言えることだ。
世界のトップ選手たちとの差はまだまだ縮まる。そのために岡本はもっと攻めていく。
岡本はパラリンピック初出場だtext by TEAM A
Photo by AFLO SPORT
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