介護経験者から見ても自然...奥田瑛二が語る“認知症患者”を演じる難しさ
PHPオンライン衆知 / 2024年6月7日 7時0分
長年にわたり、映画やドラマの世界で活躍を続けてきた奥田瑛二さん。 華々しい活躍の一方で、認知症を患った義母を、夫婦で実に13年間介護していた経験も持つ。 そんな奥田さんに舞い込んだ、6月7日(金)公開の映画『かくしごと』での、「認知症患者役」のオファー。 自分とまるで違う人間に、人はどこまで近づけるのか――奥田さんの「演技論」について詳しく聞いた。
取材・構成:横山由希路 写真撮影:まるやゆういち ヘアメイク:田中・エネルギー・けん
※本稿は、『THE21』2024年7月号の掲載記事より、内容を一部抜粋・編集したものです。
下手な策を弄した芝居は一切通用しない
――今作『かくしごと』は、長年絶縁状態にあった父が認知症を発症したことで、絵本作家の娘・千紗子が久しぶりに帰郷する場面から始まります。介護生活の中、とある出来事をきっかけに、千紗子は虐待の痕がある記憶喪失の少年と出会い......というストーリーです。
奥田さんは、千紗子の父で認知症患者の孝蔵役で出演されていますが、関根監督からはどのようなオファーがあったのでしょう。
【奥田】関根監督がプロデューサーと一緒に僕の事務所にいらして、そこで直接今回のお話をいただきました。僕が演じる役が認知症であることや人物の背景、そして物語の根幹となる「虐待」や、全体の筋書きといったことも、そこで説明していただいたんです。
社会の中の光が届きにくい部分を描く一方、ある種のサスペンス的なエンターテインメント性も持っている。いい映画になるなと感じました。そこで「ぜひやらせてください」ということで、お受けした映画でした。
ただ、いざ届いた台本を読み進めていくと、僕自身が70代ということもあって、やっぱり自分の年齢や両親のことを考えてしまってね。あと、カミさんでもある安藤和津さんのお母さんも、認知症だったものですから。
――お義母様を在宅で介護されていた頃は、奥田さんがお義母様をお手洗いまでおんぶしていたこともあったと聞いています。
【奥田】その通りです。夫婦で協力して、約13年ほどの介護を経験しました。その記憶があるので、お義母さんとの日常生活の中にあった印象深い出来事なんかが、台本を読んでいるときにワーッと脳裏をよぎったりして。
とはいえ当然、出自にせよ生業にせよ、孝蔵と僕とはまったく違った人間です。いくら介護経験があるからといって、それだけで演技がうまくいくはずはないのですが。
――では、孝蔵を演じる際にはどんなことを意識されたのでしょう。
【奥田】まず、孝蔵の置かれた状況を考えました。元々の厳格な性格も災いし、東京に出た娘とは不仲のまま。そんな中で自分には認知症の症状が出始めて、それを知った娘が、明らかに納得していない様子で自分の世話をしているわけです。
その状況で、突然目の前に現れた記憶喪失の少年とも、アクシデント的に同居することになる。そんな中で「孝蔵に何ができるか」「孝蔵がそこにいる意味は」と考えたときに浮かんだのが「背中だろう」ということでした。
――背中、ですか。ぜひ、もう少し詳しく教えてください。
【奥田】僕がどう意識して、というより、娘の千紗子や少年が、孝蔵、つまり僕の背中を見て、どう思うかが重要だと思ったんです。 娘と喧嘩していた頃の父親とは違う頼りない背中を見れば、娘は昔のことをふと思い出すでしょう。
少年は少年で、孝蔵と一緒に菜園で作るプチトマトの収穫や陶芸をしたりしますから、これもまた「父の背中」でもあるんです。孝蔵の背中が、娘と少年の言葉をすべて受け止めている。それが3人を家族にしているんじゃないか......と、ふと思ったんですよ。
――確かに、おっしゃる通りだと思います。背中一つで感じさせる演技を、それも認知症の罹患者という役柄でこなすのは、非常に難しいことのように思えるのですが......。
【奥田】本当にその通りで、大変難しい役どころです。孝蔵を演じるにあたっては、下手な策を弄した芝居は一切通用しないぞ、という思いは持っていましたね。それこそ、僕の魂を込めないといけないな、と。
観客の方にも、実は親が認知症で......という方は増えていると思います。そういう方たちが観て「なんだこれ」と落胆するような演技をしてしまったら、もう僕は俳優としては終わりだな、くらいには思っていました。
撮影が始まってから、ずっと「孝蔵」になっていた
――まさか、そのレベルまでご自身を追い込んでおられたとは......。確かに、作中での演技のクオリティは本当に素晴らしかったです。役に入り込むために意識しておられることはあるのでしょうか。
【奥田】それは、何かを意識すればできる、というものではないですよ。だって、僕はどうやっても健康体なわけですから。やはり「3人目の僕」を迎える必要があるんです。
――「3人目」というのは?
【奥田】まず1人目はそのままの自分。そして2人目は、僕という人間を客観視してくれる、いわば「良い奥田君」です。この奥田君には、今までの人生でも散々助けられてきました(笑)。
でも、自分とはまったく違う人間をしっかり演じようと思ったら、この1人目、2人目では足りない。そのためには、まったく違う「3人目の奥田」を連れてきて、自分の中にバーンと「入れる」ことが欠かせません。これは、いくら頭で「こうしよう」と思っても、できることではありません。逆にそれさえできれば、何の心配もなくカメラの前に立てると思っています。
――その「3人目」は、今回どう連れてこられたんでしょうか。
【奥田】やはりまず、僕がもっともっと認知症の方のことを知らないといけません。撮影前には、富山県のグループホームへ何度か見学に行きました。 そういう施設で直接お話ししてみると、同じ認知症の方でも本当に色んな方がいらっしゃることが改めてわかりました。
普通にご飯を食べられて、話す内容にも理屈が通っている方もいれば、支離滅裂なことばかり話される方もいる。そこで、あえて質問はせず、僕自身が認知症の方と同化してみることにしたんです。「この方は今どんなことを思っているのか」といったことを想像して、わかったことをノートに書き込みながら、ずっと観察させていただいて。
その経験を通じて感じたのは「孝蔵は認知症の人だ」ではなく、「こういう性格だった孝蔵という人が、認知症になってしまった」と思わねばならないということです。それが腑に落ちた頃、ようやく自分の中に「里谷孝蔵」という人が出来上がりました。
そうしたらあとはもう何も考えず、すっとカメラの前に立っていました。 だから、クランクインしてから撮影が終わるまで、僕はずっと「孝蔵」だったんです。
「100%役になりきる」がベストな演技とは限らない
――「僕はずっと孝蔵だった」の言葉に凄みを感じます。実は私自身、認知症の母を10年以上介護している身なのですが、奥田さんの演技のリアリティは、在宅介護の経験がフラッシュバックするほどでした。大きい声を出されるとビクッとしたり、口は半開きなのに目には怒気がにじんでいたり......。 どうしたら、そこまで「フィジカル面」をコントロールできるんでしょうか。
【奥田】答えになっているかはわかりませんが、監督から「本番いきまーす」と声がかかると、そこでもうぐわ〜んと、認知症の人になるんです。そしてカチンコが鳴ったときには、もう孝蔵になっている。
カットがしばらくかからないままだと、途中で「奥田瑛二」である自分が、どこかに行っちゃいそうになることもあります(笑)。 役に100%没入するのではなく、0.1%は客観的な視点を持っておくことが大切ですね。
――「100%なりきる」ではダメなんですか?
【奥田】世間では「あの人は役に100%なりきっている」がベストと思われがちですが、本当にそのラインを超えてしまうと、観客に何かしらの違和感を与えるようになってしまうんです。
さっきの「3人の僕」の話じゃないけど、演じている自分の上から、もっと客観的な自分が「お〜い、行きすぎだよ!」って注意してくれることもあります。 でも「100%を超えそうな瞬間」は、準備をきちんと積み重ねないと味わえないものですね。
――僭越ながら、介護経験者から観ても、奥田さんの認知症の演技は史上最高峰だと思いました。
【奥田】いやいや、そう言っていただけるのはほんと嬉しいです。正直この作品、自分でも観るのが怖すぎて「試写会なんて行かないよ」って言いたいくらいだったので。なんか今、ほろっとしちゃった。
【奥田瑛二(おくだ・えいじ)】
1950年、愛知県生まれ。79年の映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』で初主演。86年『海と毒薬』で毎日映画コンクール男優主演賞、89年『千利休・本覺坊遺文』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。94年『棒の哀しみ』ではブルーリボン賞など8つの主演男優賞を受賞する。近年の出演作に連続テレビ小説「らんまん」(23年度前期/NHK)、主演映画『洗骨』(19年)などがある。
映画『かくしごと』
2024年6月7日(金)、TOHOシネマズ日比谷、テアトル新宿ほか 全国ロードショー
脚本・監督:関根光才
原作:北國浩二『噓』(PHP文芸文庫刊)
製作幹事:メ~テレ、ホリプロ
企画・制作:ホリプロ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
出演:杏、中須翔真、佐津川愛美 /安藤政信、奥田瑛二 ほか
(C)2024「かくしごと」製作委員会 『かくしごと』
絵本作家の千紗子は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵が認知症を発症したことを知り、父の介護のために渋々帰郷する。
いつまで経っても状況が飲み込めない様子の父との暮らしに辟易しつつあったある日、事故で記憶を失ってしまった少年を助けた千紗子は、彼の身体に虐待の痕跡を発見。少年を守るため、千紗子は自分が母親だと嘘をつき、少年を父と暮らす家に迎えることを決意する。次第に心を通わせ合い、少しずつ「家族の絆」を育んでいく三人。だがその幸せは、当然長くは続かなかった──。
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