危険な空気が渦巻く韓国、パキスタンでアントニオ猪木は...? 伝説の海外遠征に同行した永源遙が目撃した光景
PHPオンライン衆知 / 2024年7月23日 11時50分
1976年12月、アントニオ猪木のパキスタン遠征に同行した永源遙(右後方)
アントニオ猪木は現役時代に数々の海外遠征を行ない、予期せぬ事態に遭遇することもあった。特に1976年12月のパキスタン遠征は現地の英雄であるアクラム・ペールワンに急遽「リアルファイト」を挑まれ、相手の腕を折って返り討ちにしたことで知られている。当時、新日本プロレスの中堅選手として猪木に同行した永源遙(※2016年11月28日に逝去)が至近距離で目にした光景とは?
※本稿は、『Gスピリッツ選集 第一巻 昭和・新日本篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
反日感情の渦巻く韓国での喧嘩マッチに同行
――1976年10月9日、韓国の大邱で猪木さんがパク・ソンナン(朴松男)の目に指を突っ込んだとされる伝説の喧嘩マッチに永源さんは同行されていますね。
テレビ中継をストップして、遅れて試合をした時の?
――それは翌日にソウルの奨忠体育館で行われた同じカードによるNWFヘビー級王座の防衛戦です。この一戦は日本でも放送されましたが、同じく遠征に同行した坂口征二さんは「現地では生中継なのに、2人が控室から出てこないから試合が遅れた」と言っていました。
それも俺は行ってますよ。前日のひどい試合の時もセコンドに入っていましたね。向こうが「猪木を倒したら人気が出る!」という感じで来たから、猪木さんはやっちゃったんでしょう。そういうことがあっても乗り越えちゃうんだから、猪木さんは凄いですよ。お客さんには何があったのかはわからないだろうけど、異様な雰囲気は伝わったと思いますよ。やっぱりアマチュア(サブミッションレスリングの意味)で入っていったら猪木さんは強いからね。
――永源さんは、猪木さんとスパーリングしたことは?
もちろん、ありますよ。強い。すぐに腕を極められたり、足を極められたり。東京プロレスに入ってすぐに俺はまあまあ身体もあったし、ちょうどいい相手だってことでガンガンやられて。猪木さんは若い頃からいろいろな技を知っていたけど、特に腕を極めるのが巧かった。で、関節が柔らかいし、身体自体が柔らかい。だから長年、ガイジン選手や異種格闘技の選手に攻撃されても、やっていられたんですよ。あれで身体が硬かったら無理ですよ。
――話を戻すと、当時の韓国は反日感情が強かったでしょうから、猪木さんがパク・ソンナンをやってしまった後は大変だったのでは?
そういう時に猪木さんを守るのが俺の役目だからね。やっぱり一番守ったのがパキスタンですよ。あれは終わったらイチ、ニ、サンで控室に戻って、すぐにホテルへ逃げましたからね。で、そのホテルから出られなかったから。
伝説のパキスタン遠征 本当に7万人もの観衆が詰めかけたのか?
――その有名な76年12月のパキスタン遠征で、永源さんが同行メンバーに選ばれた理由は何だったんですか?
猪木さんと新間(寿=当時の新日本プロレス営業本部長)さんが選んだと思うんですよ。あとは藤原(喜明)と小沢(正志=キラー・カーン)がいたけど、3人ともそれなりに身体が大きくて年齢も同じぐらいだし、頑丈な人間が選ばれたのかもねえ。VIP待遇でしたよ。
行く時はパキスタン航空で猪木さん、奥さんの倍賞美津子さん、新間さんはファーストクラスでね。俺たちは後ろの方に乗ったんだけど、ビックリしたのはファーストクラスの方には寿司が入った大きな桶が3~4個用意してあって、「食べてください」って。だから、それを食うために俺たちもずっとファーストクラスにいましたよ(笑)。
あとは機長室で副機長のイスに座らせてもらったりね。あれは快適な旅でした(笑)。カラチ空港に着いた時には、深夜にもかかわらず3000~4000人が見に来ていましたからね。モハメド・アリ戦の後だったから猪木さんは向こうでも有名人でしたし。
――そして、決戦場のカラチ・ナショナル・スタジアムには7万人の大観衆が詰めかけたと言われています。
ホントに凄かった。警察官も2000人以上いたと聞いたから。リングから見渡すと、何キロも先の山の上に人がいっぱいいて、試合を観戦してるの。でも、見えるわけないでしょ、そんなもん(笑)。リングサイドの一番前の席は、金のある人しか座れないですよ。確か料金は100ドルとか言ってたから。
アントニオ猪木意外に唯一試合をした永源遥が振り返る「危険な対戦相手」
――その大観衆の中で、猪木さん以外に試合をしたのは永源さんだけなんですよね。ボル・ブラザーズの六男で末弟のゴガ・ペールワンと対戦されましたが、彼はどんなレスラーだったんですか?
俺より一回りぐらい大きかったねえ。力も強い。だけど、技は何もなくて、組んだらもうボディスラムで投げたりとか。それしかできない。ホントに技なんか何もないよ。それで俺が悪いことをして、向こうが一発殴ったら、7万人が「ウワーッ!」って。「何でこんなに騒ぐのかな?」と思ったけどね(笑)。向こうの選手への声援は凄かったですよ。俺が「待て、待て」とロープに逃げたら、7万人が沸くんですよ。日本人の弱い奴が逃げたと思って(笑)。
――ということは、永源さんはヒールなんですね。
そうそう。首を絞めたり、アメリカでやっていたのと同じようなことをやりましたよ。相手はどんな技をやるのかもわからないし、寝技、立ち技…何にもないし。しかも組んだら、もうガッチガチに力が100%入ってるしね。こっちが投げようと思っても、引っ繰り返ることはあるけど、踏ん張っちゃうんですよ。
――そういう訳のわからない選手と試合をする場合、不用意に相手の技を受けて様子を見ることもできないですよね。
危なくて下手に受けられない。怪我したら、どうしようもないからね。でも、力が強かった。俺が踏ん張っても上げちゃうんですよ。だから、何とか受け身を取って。結局、ボディスラムを何発か食って負けちゃいましたよ。リングの状態も悪いし。土の上にマットを敷くんですから。ロープも緩いしね。
ホテルに軟禁状態 アントニオ猪木が持ち込んだ大量のカップヌードルに救われる
――そして、問題の猪木さんとアクラム・ペールワンの試合ですが、どういう雰囲気でしたか?
新間さんが控室に来て、「永源ちゃん、向こうの対応が随分おかしくなってきたから、セコンドをしっかり頼むよ」って。きっと向こうは日本人のプロレスラーなんか大して強くないと思っていたんじゃないですか?
――猪木さん自身は、ピリピリしていたんですか?
そんな風には見えなかったけど、なっていたんでしょうね。猪木さんはピリピリしていても、意外と顔には出さない。そういうのを人には見せないから。でも、セコンドに入っていてね、ホントにどうなるのかと思ったよ。アクラムって腹が出てるんだけど、元気があるんだよね。意外とスタミナがある。ゴガもそうだけど、腹は出ていても、しっかりした筋肉なんですよ。
――第2ラウンドで猪木さんがアクラムの右目に指を突っ込んだと言われていますが、永源さんがいた位置からは見えました?
それは向こうが因縁をつけてきただけじゃないの? よっぽどピンチに追い込まれたらするかもしれないけど、猪木さんが8-2で優勢だったし、ゆったりとやっていたから、そんなことをする必要はなかったと思うねえ。結局、第3ラウンドで猪木さんがアクラムの腕を折っちゃって、新間さんの顔色が変わりましたよ。「早く行こう!」って。そこには倍賞美津子さんもいたからね。だから、すぐに控室に戻って、ホテルへ逃げて。
――その後、ホテルで軟禁状態のようになってしまったんですよね?
猪木さんが賢いのは、カップヌードルの入った大きなケースを2つぐらい持ってきていたんですよ。あれは奥さんが気を遣って持ってきたのかな? それをみんなで「ごっつぁんです!」と食べて(笑)。パキスタンのファンは意外と「猪木は凄い!」みたいに好意的な感じだったけど、「ホテルの外に出たら、みんな付いてきちゃうから出ないでくれ」と言われたんですよ。それとアクラムの兄弟たちが「プライドを傷つけられた」と復讐に来るとか来ないとかいう話もあったから、護衛が付いて…。
再びのパキスタン遠征で警察官から銃を向けられた永源遥
――その2年半後に再びパキスタン遠征が行われ、永源さんはここにも同行していますね。79年6月16日(現地時間)、ラホールのガダフィ・ホッケー競技場で猪木さんはアクラムの甥のジュベール・ペールワンと戦い、10万5000人の大観衆が集まったとも言われています。
いやあ、10万人は大げさかもしれないけど、よく入ってた。1回目と同じで、見えるわけがないのに丘の上にいっぱい人がいるんですよ。
――当時の報道では、会場内の観客以外に丘の上のタダ見が2万5000人もいたと。
そうだったかもしれないねえ(笑)。あの時は2大会やって、カラチでやった猪木さんとタイガー・ジェット・シンの試合も結構入りましたよ。警察官も3000人ぐらいいたかな。俺はセコンドに入っていて、猪木さんがシンを場外へ放り投げた時、シンを蹴っ飛ばしたの。そうしたら、向こうの警察官が俺に銃を向けてきて撃つ構えになったんですよ(苦笑)。あそこはホッケー場だから控室までかなり距離があるんだけど、両手を上げたままそこへ行くまでの時間が長かった(笑)。
――パキスタンでは、シンがベビーフェースなんですか?
いや、猪木さんがベビーフェースでシンがヒールなんだけど、お客さんの声援は五分と五分だったかなあ。
――前日の試合では、観客の全員が地元のジュベール支持ですか?
もちろん、そうですよ。だから、一歩間違えたら本当に危ない状況。俺もセコンドに入っていながら、「こうなったら、ここに逃げて帰ろう」と考えていましたよ。
――アクラムは猪木さんと対戦した時に47歳でしたが、ジュベールは19歳の若さで、試合映像を観るとナチュラルに強いと感じさせるファイターですよね。
ペールワン一族はあまり気の利いた技はないんだけど、力が強いんですよ。単なる力がね。だから、その力をアームロックで攻めたりとか、もっと考えて使えば強いと思うんだけど、ちゃんと技術を教える人がいないんだろうね。でも、パキスタンのお客さんはあれで満足しちゃうのかもしれない。
――結果は5ラウンドをフルに戦って引き分けとなりましたが、猪木さんが相手の手を上げながらリングを1周して健闘を称えたことで観客はジュベールの勝ちだと勘違いしてリング上に殺到しましたよね。ただ、公式記録はドローなので、観客がレフェリーにナイフを突きつけて、「ジュベールの勝ちにしろ!」と恫喝したという話もあります。
リングにいろんな人が入ってきちゃってね。ああいう状況が一番危ないんですよ。ホントに1分後に何が起きるかわからない、あそこは…。俺は猪木さんを無事にホテルへ送り届けることができてホッとしましたよ。猪木さんとはドバイにも一緒に行ったし、俺はボディガード役ですよ。いつも新間さんが「永源ちゃん、何かあったら頼むよ」って。それに実際にはなかったけど、道場破りみたいなのが来る可能性もあるからね。だから、外国に行ったら帰るまで神経を使いっ放し。何が起きるかわからないんですよ。ましてや南アジア、中近東といった地域はね。
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