世紀の一戦は本当に引き分けだった? 内側から見たアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦の深層
PHPオンライン衆知 / 2024年7月29日 11時50分
アントニオ猪木vsモハメド・アリの『格闘技世界一決定戦』は、今もなお多くの謎に包まれている。1976年6月26日、日本武道館のリングで対峙した両雄は15ラウンドを戦い、結果は判定によりドロー。リアルタイムでは世間から痛烈な批判に晒されたが、現在では日本における「総合格闘技の原点」として高い評価を受けるようになった。大会当日、ジャッジペーパーの集計係を務めた当時の新日本プロレス営業部長・大塚直樹氏が独自の視点で「今世紀最大のスーパーファイト」を振り返る。
※本稿は、『Gスピリッツ選集 第一巻 昭和・新日本篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
モハメド・アリに支払った3億円の前金
今、考えるとアリのギャラが600万ドル、当時のレートで18億6000万円なんて途方もない数字でしたよね。でも、計算上は採算が取れていたんです。会場の日本武道館は満員になっても1万4000人程度ですから、どんなに高い入場料を設定しても収益はせいぜい数億円ですけど、全米生中継のクローズドサーキットをやれば20~30億円の上がりが出るから大丈夫だとアリサイドが言っていたんですよ。それだったら問題ないんじゃないかという話になって、僕たちは逆に儲かるぐらいの感覚でいたんです。
ただ、間際になってアリサイドが来日前に前金を振り込めという話をしてきて、その調達には四苦八苦しましたね。昔、豊登さんが猪木社長に紹介した不動産会社の社長さんが大阪にいまして、そこから3億円を借りたんです。それも裏金で。あれは現金をジュラルミンケースに入れて、飛行機で運んだんですよ。それで1回目の支払いが済んで、正式にアリが来日することになったんです。
猪木社長はアリが来日してからも余裕というか、自然体というか。緊張よりも、むしろアリとの戦いが実現するのを嬉しがっていたという感じでした。それに僕らもアントニオ猪木が一番強いと信じていましたしね。
だから、試合の3日前の公開調印式で、猪木社長が「勝った方が興行収益、ファイトマネーをすべて取るという勝負をしよう」とアリに迫ったのも作戦だったんですよ。挑発に乗ったアリが契約書にサインしたんですけど、あの勝者総取りの契約書はあらかじめ用意しておいたんです。すでに前金は払ってあるし、これ以上払わないで済む方法はないかと考えて。
もちろん、これは絶対に猪木社長が勝つという自信があったからこそですよ。つまり、あれは新日本サイドが公の場で仕掛けたわけです。もっともすぐに新間(寿)本部長がアリサイドに監禁されるような形で抗議を受けて、一晩で白紙撤回になりましたけどね。
この一件によって、アリサイドが態度を硬化させたんですよ。それによって、新たなルール変更を求めてくるという事態になってしまいましたね。当初はシンプルなルールだったはずが、試合前日になってスタンディングのキック、肘打ち、グラウンドの攻撃は5秒以内とか制限を求めてきたんです。アリサイドは「猪木は本気なんじゃないか」、「アリを守らなきゃいけない」という怖さを感じたと思うんですよ。新間本部長がよく言っている公表できなかった“裏ルール”ですね。
ここから先は聞いた話ですけど、「そういうことを猪木が守ってくれないのであれば、アクシデントでアリは帰国し、明日のリングには上がらない」と言われたと。それでOKした後に…これも聞いた話なんですけど、アリサイドにピストルを持っている人間が4人いたらしく、新間本部長がそれを見せられて、「もし猪木が約束を守らなかったら、その場で撃ち殺す」と言われたと。
アリサイドは当初、エキシビションマッチだと思っていたんでしょうね。アリが「道場に練習に行きたい」と言ったところ、そういうものはないと知らされて、「どういうことだ!?」となったらしいですから。ただ、それがどの時点なのかは僕もわかりません。
アリサイドがエキシビションだと信じ込んでいたのは、それまでの契約書は金銭面ばかりのことだけで、試合内容にまで及ぶものではなかったからだと思います。だから、戦いに関しての本当の契約書は新日本が公開調印式に用意してアリにサインさせた勝者総取りのアレだったと思いますよ。まあ、アリサイドにしてみたら、とんでもない話だったでしょうね(笑)。
想定外だった判定決着に集計係は大慌て
当日、僕はジャッジペーパーの集計を任されていたので、リングアナウンサーの倍賞鉄夫さんの隣、一番前で試合を見ていました。僕自身はどんな不利なルールだろうが、ピストルを持っている人間がいようが、社長が勝つと信じていましたよ。だから、まさか15ラウンドまで行くとは思っていなかったんです。
よく社長は「相手の力が2か3でも、6か7まで引き上げてやって、自分は10を見せて勝つのがプロレスだ」と言っていたので、試合を見ながら「どこで社長は勝負を掛けるんだろう?」、「もしかしたらテレビ局に言われて、ある程度のラウンドまで引っ張らなきゃいけないのかな?」なんて思っていたぐらいですから。
そんな感じだったので、15ラウンドまで決着が付かずに判定にもつれ込むなんていうのは、まったくの想定外だったんです。だから、ジャッジペーパーの集計を任されていた僕は最終ラウンドのゴングが鳴って、もうパニックですよ。
僕は猪木社長が勝つ、判定決着なんか有り得ないと思っていたから、集計係とはいってもラウンドごとに計算していたわけでもないし、集めたペーパーをクリップに留めるわけでもなく、机の上にただ置いていただけだったんです(苦笑)。だから、本当に慌てましたね。最後のラウンドが終わってから一気に計算したので、結果を発表するまでに10分以上かかったはずです。
いざ計算したら、社長の減点を入れると引き分けになったんですよ。これは間違っていたら大変だと思って4回も計算し直したけど、それでも引き分けなんです。相談できる人も誰もいないし、「俺はどうしたらいいんだ…」と震えが来ましたよ。「この世紀の一戦が引き分けという結果でいいのかよ…」って。
これは杜撰な話なんですけど、ジャッジペーパーの計算の時に僕の側には誰もいなかったんです。坂口(征二)さんも山本(小鉄)さんも付いていなかった。それこそピストルを持った向こう側の人間に、「アリの勝ちになるように改ざんしろ」と脅迫されることも有り得たわけですからね。だから、アリサイドにしても杜撰だったんですよ。僕が猪木社長の勝ちに改ざんする可能性もあるのに、誰もチェックに来ませんでしたから。
そんな状態なので、僕が改ざんして、どちらかの勝ちにすることは確かに可能だったわけです。だから、「これで良かったのかなあ」というのが試合直後の正直な気持ちでした。最終的には、あの世紀の一戦を僕がジャッジしたようなものですからね。
試合翌日に見たアントニオ猪木の足
猪木vsアリ戦は結果的に…高いアリーナの席はそこそこ売れたんですけど、全体的な入りは65%。ハッキリ言って、興行としては失敗でしたね。間際になってもチケットが売れなかったから、猪木社長と2人で結構、営業に行きましたよ。あれは試合の10日前だったかなあ。東京佐川急便の渡辺(正康)社長のところにチケットをキャッシュで200万円分売りに行きましたね。
あの頃は今と違って週休2日制じゃなかったし、しかもアメリカの生中継に合わせて土曜日の昼から試合開始というのが響きました。夜の開始であれば、あの料金設定でも間違いなく超満員になったと思います。昼の生中継の時間帯に、タクシーが街を走ってなかったことが話題になったぐらい注目度はあったわけですから。
試合の翌日の午前10時過ぎ、僕は「スポーツ新聞を全部買ってこい」と言われて、東横線の渋谷駅で買ってから猪木社長の家に行きました。社長は新聞をバーッと広げて、「随分、悪口書かれてんなあ。ひでえなあ」って。僕は「すみません。集計した時に悩んだんです」と言いましたよ。その次の社長の言葉が「何でお前が謝るんだ。大塚、これも神の導きだよ。引き分けで良かったんだよ」と。それで僕の気持ちはスーッと軽くなりましたし、もし数字を操作していたら社長は怒っていたでしょうね。
社長は新聞に一通り目を通した後、「大塚、足を見てくれよ」と。もう腫れ上がっていて、靴が履けない状態でしたよ。その日の午後、社長は出社したんですけど、さすがにサンダルでしたね、足を引きずりながら…。社長にとっては、「プロレスをメジャーに」というのが目標だったんですよ。だから、内容が良いとか悪いとかじゃなく、自分の映像がクローズドサーキットや衛星中継で世界に流れたわけですから、「俺は凄いことをしたんだ!」という気持ちの方が勝っていたと思います。
実際にあれだけ自分の足を痛めて、いかにあの試合が死闘だったのかは自分自身の身体が一番知っているわけですから、落ち込む気持ちよりも達成感の方があったと思いますよ。
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