「向上心という言葉が嫌い」 60代元博報堂社員が嘆く、経済成長を味わった昭和世代の功罪
PHPオンライン衆知 / 2024年9月17日 12時0分
政治家や企業CEOのスピーチライターを務め、小学生や大学生の悩みに耳を傾け、多くの人に「言葉」の力を伝えてきた元博報堂スピーチライターでコミュニケーションコンサルタントのひきたよしあきさんの最新書籍『あなたを全力で肯定する言葉』(辰巳出版)が刊行されました。「自己肯定感が低い」「向上心がない」「老害でしょうか」「社畜です」――不幸ではない、でも生きづらい。多種多様な苦悩に、著者が寄り添い、言葉の力でサポートします。(イラスト:江夏潤一)
※本稿は『あなたを全力で肯定する言葉』(ひきたよしあき著/辰巳出版)より内容を一部抜粋・編集したものです。
【お悩み】向上心がありません。
常に成長しなければいけないのでしょうか?
目の前にあることを、粛々と進めるだけではいけないのでしょうか?
上を目指せ、業績を上げろと言われますが、それは私の幸せにつながるのでしょうか?
向上心に燃えていた頃もありました。でもそれは持続しません。疲れてしまいます。
私は昭和の年功序列社会でもよかったと思っています。実力主義では、能力のない人間や向上心のない人間は無価値だと言われているようなものですから。
人生100年時代なんて、冗談じゃありません。あと何十年、成長を強いられるのでしょうか。
―― ぬるま湯(45歳)
向上心がなくても成長している
あなたの「向上心」に関する思いに共鳴します。
もっとも私は昭和に育った人間なので、お気持ちのすべてをわかると言えば、うそになるでしょう。
私の育ってきた時代は、子どもの頃が高度経済成長期でした。偏差値で大学が振り分けられましたが、その先の企業は年功序列で終身雇用。会社は安泰、向上心をもって努力をすれば給料も地位も上がるという環境で暮らしていました。
だから、氷河期時代を生き抜いてきたあなたの気持ちが「わかる」と言えば、うそになります。だから、私の世代からの言葉しかお伝えできません。その点はご容赦ください。
時代が変わったのに人が変われない
一番感じるのは、私の世代の不勉強です。
自分以外の育った環境を知ろうとしない態度です。多くの企業の社長や役員、ジャーナリストや政治家といった社会的責任のある立場に、私の同年代がたくさん就いています。
同じ時代を生きた仲間が、世の中を牽引する姿に敬意を表すると同時に、「ちょっと待ってくれ」という思いがあります。
彼らの多くが、自分が生きてきた時代のやり方で、今の時代を引っ張ろうとしているのではないか。日本も会社も安泰で、働けば働いた分、企業も自分も成長できるという神話を今も信じているのではないか。
人の幸せは、成長し、競争に勝ち、社会的ポジションと金銭的余裕によってもたらされると、腹の底から思っているのではないか。
そうでなければ、30年前と同じような企業の枠組みで、ノルマを課したり、前年度と比べて一喜一憂しているわけがないと思うのです。
もちろん企業ですから、収益が上がることは大切です。
しかしそのために、社員の向上心を煽り、兵隊のように扱っていたのでは、誰もついてこなくなる。同世代はそれに疎い気がするのです。
よほど過去の成功体験がすごかった。そこから抜けられずにいるのでしょう。
残念なことにあなたは、こうした過去の栄光にしがみつく人の下で、働いているようです。楽しいわけがない。「成長」や「実力」が、結局は「金儲け」にしかつながっていないことに違和感を覚えるのは当然のことでしょう。
私が、こうした思いに至るのは、毎週大学で若い子たちと接しているからです。
先日私は、講義の中で、安易に「人は成長してこそ、生きている実感が味わえるものだ」と言ってしまいました。
「私は、家族で時々焼肉を食べにいくときに幸せを実感します。両親もそう言います。私は、企業でがんばることよりも、家族で焼肉を食べにいくことに価値を見いだす人間でいたいと思います。生きている実感とはそういうことではないですか」
「静かに暮らしたいのに、いろいろな問題が、絶えず私に降ってきます。目的をもって前に進むことなんてできない。降ってきた問題に答えを出すことで精いっぱいです。この上、成長しなくてはいけない人生なんていやです」
「私は、成長なんて考えたくありません。そんなことより、毎日じーんと心に響くことを大切にしたいです」
その日に学生が書いてきた講義の感想は、こういった声であふれかえりました。
多くの学生が、あなたと似たような気持ちをもっている。だから、あなたに共鳴すると冒頭で書きました。すべてわかるわけではないことを承知の上で、「気持ち、わかります」と書いたわけです。
成長とは、絵の具の色数が増えること
私の人生を振り返っても、「成長」を実感できたことはほとんどありません。
この年齢になったから、後付けで「成長」したようなことを言っていますが、そのときは、ただ悶々として、ジタバタしているだけでした。向上心をもって、事にあたり、成功した体験などほぼありません。
成績がよかったり、儲かったりしたときもあったけれど、それを「成長」なんて感じることはなく、「まぐれ」くらいにしか思えませんでした。
ただ、感じるのは、向上心をもとうがもたなかろうが、失敗しようが成功しようが、何かをやれば、さまざまな感情が起きます。挫折、悔恨、あきらめ、喜び、感謝、反省、有頂天、友情、愛情、孤独......まるでパレットの上にチューブから絵の具が出されるようにさまざまな色彩が増えていきます。
成長というものは、この色彩が増えていく感覚を言うのではないかと、最近私は思い始めています。感情を織りなす絵の具の色が増えていく。
それで、人の気持ちがわかるようになる。
自分に湧き上がった感情を、過去の色と比べることができる。
こんなふうに、人と自分を理解するための色彩が増えることを「成長」と言いたいものです。
どんなに向上心が高くても、それが赤一色に染まったものでしかなければ、あまりに単純です。相手の心情など理解できないでしょう。
あなたにも、「成長」とは、心の色数を増やすことだと考えてもらえるとうれしいです。そうすれば、美しい海を見ることも、ハラハラドキドキする映画を見ることもみんな「成長」につながる。それでいいのではないでしょうか。
「向上心がない」というレッテルを剥がそう
最後に、「向上心」について書きます。
先述の学生が書いたように、この時代は、色々な問題が絶えず降ってきます。パンデミック、戦争、大災害、政治腐敗、経済危機......そんなことが日常茶飯で起き、誰も彼もがアップアップなのが現状ではないでしょうか。
降ってきた問題に直面する。これはもう立派な「向上」です。
「向上心」なんてなくていい。答えを出さなくてもいい。ジタバタしているだけで、私たちは、立派にこの理不尽な世界と戦い、価値ある人間になっているのですから。
私は、向上心という言葉が嫌いです。
「向上心がない」――なくてもいいじゃないか!
一生、ジタバタ。これでいいと思っています。
あなたの心のパレットがきれいな色でいっぱいになりますように。
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