禅僧が語る「罪悪感につぶされそう」な状態を切り抜けるヒント
PHPオンライン衆知 / 2024年10月23日 12時0分
「あの時、こうしていれば...」後悔は誰もが抱く感情です。罪悪感がいつまでも消えず、悩んでいる人も多いでしょう。心の重荷から解放されるには、どうしたらいいのでしょうか。曹洞宗徳雄山建功寺の住職である枡野俊明さんによる書籍『罪悪感の手放し方』より、負の感情と向き合い、新しい人生を送るためのヒントを紹介します。
※本稿は、枡野俊明著『罪悪感の手放し方』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
何事にもとらわれず「今」を生きるために
「今、この瞬間」において、最善を尽くすこと。それは、心を煩悩や執着の重荷から解放し、一点の曇りなく生きるための、禅の教えです。「罪悪感」もまた、そのような重荷の一つでしょう。
「なぜ、あのとき、こうしなかったんだろう」
「なぜ、あんなことを言ってしまったんだろう」
と自分を責め続け、過去を何度も反芻するうちに、心は鉛のように重くなります。
「なぜ、なぜ」と自問するたび、手足は悔恨の念にとらわれていきます。そんなとき、禅は何を説くのか。「今をただ生きよ」と説くのです。
誤解しないでいただきたいのですが、これは「過去の過ちなど忘れてしまえばいい」と突き放しているのではありません。むしろ、よりよい「今」を生きるための糧とせよ。後悔を後悔のまま放置してはいけない。そんな意味だととらえてください。
私が申し上げるまでもなく、過去を変えることはできません。しかし、どのような過去であっても、いいえ、「二度と同じ過ちは繰り返すまい」という思いが強ければ強いほど、よりよく生きる契機とすることができるはずです。その道のりは無論、平坦なものではないかもしれません。
罪悪感を埋め合わせようと躍起になり、あれもこれもと手を出しては心が擦り切れてしまう人もいます。それでもなお、誰もが、罪悪感から解放され、自分らしく生きることはできる。禅の教えがそのような生き方のヒントになると、私は信じています。
「随処作主 立処皆真(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)」
という禅語があります。臨済宗の開祖として知られる、臨済義玄禅師の言葉です。その心は、どのような状況にあっても、自分が主となり(主体的になり)懸命に取り組めば、何事にも影響されることなく、人生の主人公になれる、ということ。
罪悪感も、後悔も、後ろめたさも、すべては過去の出来事に由来しています。しかし、過去は過去、今は今です。私たちが生きている今という時間は、過去から切り離されたところにあるのです。
冬が春になり、春が夏になるのでなく、春夏秋冬がそれぞれ独立しているように、過去、現在、未来もつながってはいません。そうであるならば、「今」をただひたすらに、生きるまで。それが禅の精神です。
罪悪感は鎖か、翼か
おそらくは、罪悪感をまったく持たずに人生を全うできる人など、この世には一人もいないでしょう。それは、華やかな舞台で活躍する芸能人であっても、悟りを開くために修行をしている僧侶であっても、同じことです。
「友人を深く傷つけてしまった。その罪悪感に押しつぶされそうだ」と悲しい目で訴える人もいるかもしれません。誰しも、罪悪感から解放されたいに決まっています。しかし、それは簡単には叶わない願いです。それならば、こうした罪悪感を抱くことそのものが「生きている証」だと、私は前向きにとらえたいのです。
そう遠くない将来に、私もあなたも永遠の眠りにつきます。今感じていることも、過去に経験したことも、すべてが消え去るのです。そう考えると、罪悪感もまた、生命の鼓動そのもの。喜怒哀楽が希薄なむなしい人生を過ごすよりも、たとえ後悔で心が散り散りに引き裂かれそうであっても、感情豊かな人生のほうが、生きるに値する。そうではありませんか。
また、罪悪感とは「よりよく生きよう」という意志が裏切られたときに生じるもの、だとはいえないでしょうか。人は誰しも、よりよくあろう、他人に対してよい影響を与えようという、上昇の意志を生まれ持っている。だからこそ、嘘をついたり、誰かを傷つけたり、期待に応えられなかったりと、その意志に反する行動をしたときに、罪悪感を覚えるのでしょう。
しかし「よりよく生きよう」という意志は、まだそこで脈を打っているはず。ならば、罪悪感が「よりよく生きよう」という意志の妨げになってしまうようではいけません。
ひとたび自責の念にとらわれると、気持ちはより悪いほう悪いほうへ転がっていくのが常です。その思いは雪だるまのように膨らんでいき、やがて私たちの心を押しつぶすほどの重さになるでしょう。
そうなる前に、立ち止まって思い出していただきたいのです。失言や不適切な行動を一度もしたことがない人間なんて、この世に存在するはずがない。そんな完璧な人間が、いるはずがない。
そうであるならば、私たちはどう生きるべきでしょう。
大切なのは、頭を「後悔」から「検証」に振り向けることです。その後悔をどうすれば自分の成長につなげられるのか、あるいは、どうすれば二度と同じ過ちを繰り返さないで済むのか。禅とは、そうしたネガティブな経験をポジティブに転じる術を教えるものでもあるのです。例えば、次のようなエピソードはきわめて禅的なものだといえます。
「自分の軽率な発言がもとで、上司に大変な迷惑をかけた。それ以来、発言する前に一拍置いて『この言葉は相手を傷つけないだろうか』『相手にどう受け止められるだろうか』と考える癖をつけた。その結果、言葉づかいが優しくなり、人間関係も良好になった」
「仕事に没頭するあまり、家族との時間を疎かにしていた時期があった。ある日、娘の学校行事に参加できなかったことで強く後悔した。この経験から、仕事と私生活のバランスを見直し、意識的に家族との時間を増やした。結果として家族関係が深まり、仕事にも良い影響が出るようになった」
いずれも、罪悪感を検証することで、失敗を繰り返さない方法を学び、新たな人生を生きる契機とした例です。罪悪感は、あなたを縛る鎖とは限りません。それは新たな人生へと飛び立つための翼となるかもしれないのです。罪悪感は鎖か、翼か。どちらになるかは、あなたの生き方に委ねられています。
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