プールを展示した経緯は? 金沢21世紀美術館・館長が仕掛けた「常設」で人を集める戦略
PHPオンライン衆知 / 2024年11月15日 11時50分
東京や大阪といった大都市から離れた立地にもかかわらず、年間250万人もの来館者を集める日本有数の美術館・金沢21世紀美術館。2021年からその館長を務めているのが、世界的なキュレーターとして知られる長谷川祐子氏だ。『THE21』では、同館の開設にも深く携わったという長谷川氏に、当時のお話や今後の展望を聞いた。
取材・構成:前田はるみ、撮影:渡邉修、写真提供:金沢21世紀美術館
※本稿は、『THE21』2024年8月号掲載『私の原動力』の内容を、一部抜粋・再編集したものです。
目指したのは「常設」で人が集まる美術館
今年20周年を迎える金沢21世紀美術館で、2021年から館長を務めています。現代アートというテーマや北陸という立地などの難しい条件の中、年間250万人もの来場者を迎える美術館として、注目していただくことも多いです。
その人気を支える作品が、レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」。企画展の内容と関係なくいつでも見ることができる常設展示のこの作品を目当てに、大勢の人が訪れます。
実は、私はこの美術館の立ち上げ時、学芸課長として建物の設計にかかわっており、「スイミング・プール」も、私が集客を企図して作家に依頼したものです。バブルが弾けて以降、現代アート系の美術館が軒並み苦戦する中で、どうすればこの美術館のサステイナブルな運営が成り立つのか──そこで考えたのが、国際的な芸術家に建物と一体化した作品を制作してもらい、それを目玉にして来場者を誘致することでした。
この試みは、美術館に観光スポットの性質を持たせ、企画展の内容を問わず集客できる施設にするという点では、予想通り・狙い通りの大成功を収めています。ただ、今なお「展覧会より、とにかくプール」という方が多いことは少し残念。そうした方々にも楽しんでいただける展示を組み立てること、そして現代アートのファンを育むことの必要性を、改めて痛感しています。
京都大学法学部から現代アートの道へ
子どもの頃から芸術に興味はありましたが、当時からその道を志していたわけではありません。大学選びの際も、女性でも自立できるように弁護士か医者になれ、という家庭の方針と、弁護士だった叔父の影響で、京都大学の法学部を選びました。当時は1学年に、女子学生が10人ほどしかいませんでしたね。
大きな転機になったのは、そこで法律相談のボランティアに取り組んだこと。法律相談と言っても、そこに舞い込む相談は、ほとんど離婚や借地借家の問題ばかりだったんです。弁護士になったら、人間のこんなにドロドロした部分と毎日向き合わなくてはならないのか......と思ったとき、自分にはあまり向いていないと悟りました。
そこで結局、元々興味のあったアートの世界に進もうと思い直し、卒業後に1年働いてから東京藝大に入ったんです。入学当初は、主に15世紀イタリア絵画について学んでいました。
なのにあるとき、当時世界的に有名だったドイツ人芸術家のヨーゼフ・ボイスを学生たち主催で大学に呼ぶことになり、ただ「英語ができる」というだけで、その実行委員に加えられてしまって。現代アートなんてまるで知りませんでしたから、仕方なく猛勉強することに......それが、現代アートとの出会いです。
今でも覚えているのは、ボイスが私たちの前で、黒板に東西の文化の融合についてドローイング(線画)を描いたときのことです。終わった途端、その場にいたとある美術館の方に「この黒板、いくらですか?」と聞かれました。目の前でただの黒板が価値あるアートになったことに、とても感動させられました。
今思えば、あれが現代アートの魅力に初めて触れた瞬間だったと思います。
芸術家の眼差しを観客にどう伝えるか
キャリアの始まりは、日本初となる現代アート主体の公立美術館・水戸芸術館でした。そこで作家と共に創り上げた様々な展覧会が、今の仕事につながっていると思います。企画した展覧会の図録を見た海外の有名アーティストから突然電話がきて、そこでキュレーションの極意を伝授される......なんて経験もしました。
収蔵品の管理・研究が仕事のメインとなる学芸員とは違い、キュレーターには「アートと観客をつなぐ役割」が求められます。特に現代アートの場合、作者が観客と同じ時代を生き、同じ問題意識を共有しているわけですから、企画展を組み立てる「編集者」としてのキュレーターの存在が欠かせません。
今も、写真や映像、デザインやサブカルなど、幅広い分野にアンテナを立てて「今、何が起きているか」を見逃さないようにしています。日夜見えてくる新たな視点や新鮮な考えなどを来館者の方々と共有したい一心で、これまで様々な展覧会を創り、走り続けてきました。
大衆に迎合しても成功に至る道はない
これまでの仕事でとりわけ印象的なのが、私にとって初の国際展となったイスタンブールのビエンナーレです。開催されたのは2001年の9月。開催の10日前に「9・11」が発生し、世界的な混乱とトルコという土地柄の影響で、空港はおろかアメリカ大使館横のホテルも閉鎖されてしまったんです。展覧会も中止寸前に追い込まれました。
でも、すでに作品が並んでいた会場をくまなく回っても「展示すべきでないもの」があるとは思えなかったんです。それに加え、手伝ってくれていた現地の学生の中に「欧米への留学予定が、一方的にキャンセルされた」という子も出てきて、ひどいな、過剰な分断が起こっているな、と率直に思いました。それで、主催者を説得し、なんとか開催にこぎつけたのです。
今も、あれは開催してよかったと思います。あれを経て「なぜアートをやるのか」が私の中で明確になりましたから。アートこそ、世界の分断を越えて人の心をつなぐものだと思います。
それと、このときもそうですが、これまで様々な困難を乗り越えてこられたのは、私一人の力ではありません。「やりたい」と望む人がいたからです。
私は、1万人が反対するものでも、その成功を信じる人が10人いれば、成功に至る道が必ずあると考えています。大衆に迎合しても何も生まれません。大衆を誘惑する、私の欲望──見せたいものに向かって一緒に歩いてくれるように仕向けるのです。
私が一貫して取り組んできたのは、私と共に未来を創る人たちを信じることと、その人たちの期待に応えること。チャンスもアイデアも、誰かが与えてくださるものです。幸いにも私を必要としてくださる人、招いてくださる人がいて、私はただ起こることを受け入れながらここまで進んできました。
必要としてくださる人がいる限り、困難な道もさほど怖くはありません。1回きりの人生、守りに入っても仕方ありませんからね。今後もこれまで同様、示された課題を乗り越え、招いてくださった方の期待を超える仕事を積み重ねていく所存です。
【長谷川祐子(はせがわ・ゆうこ)】
京都大学法学部を卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。水戸芸術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長及び芸術監督、東京都現代美術館チーフキュレーター、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授などを歴任し、2021年より現職。第7回イスタンブール・ビエンナーレ「エゴフーガル」展アーティスティック・ディレクター(01年)ほか、海外での実績も多数。著書に『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』(集英社新書)などがある。
\「森の芸術祭 晴れの国・岡山」/
2024年9月28日~11月24日 好評開催中!
アートディレクター:長谷川祐子
https://forestartfest-okayama.jp/
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