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禅僧が教える「価値観のちがいで落ち込む」ことがなくなる方法

PHPオンライン衆知 / 2025年1月22日 11時50分

桝野俊明『傷つきやすい人のための 図太くなれる禅思考』

大人になると、考え方やものの見方、お金や地位など、様々な「価値観のちがい」に直面します。価値観がちがう人に出会ったとき、「ちがう」と思いつつも「関係を壊したくない」と相手に合わしてしまう人が多いかもしれません。無理して相手に合わせていると、いつの間にか心をすり減らしてしまうことも。

曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんは、できる限り「ありのままの自分」で人付き合いすることが大切だと語ります。枡野さんのご著書『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』から、気持ちの良い人間関係を築くコツを教えてもらいます。

※本稿は、枡野俊明著『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』より一部抜粋・編集したものです。

 

価値観のちがう人とのつきあい方

人は一人ひとり、自分なりのものの見方、考え方をしますし、価値観もちがいます。たとえば、生活の基盤になるお金についての価値観をみても、粋な江戸っ子よろしく「宵越しの銭は持たねぇ」と、あるだけパッと使ってしまうタイプもいれば、堅実をモットーとして、倹約、節約につとめる人もいるわけです。

価値観がちがう人とはつきあうのは難しいと感じているかもしれません。そう感じるのは相手の価値観に合わせようとしているからではありませんか?

考え方でも、ものの見方でも、本心では、「ちがうなぁ」と思っているのにもかかわらず、「そうね、そうね」とあいづちを打ってしまっている。そんな自分が情けなくなって、めげることもあるでしょう。相手に合わせるのは、心のどこかに「いい人」に見られたい、「話がわかる人」と思われたいという気持ちがあるからではないでしょうか。

傷つくのが怖いから自分の気持ちを抑えて、思いを殺して、相手と接しているわけですが、それでは苦しくもなりますし、惨めにもなります。相手がこちらを大好きになってくれたとしても、それは本来の自分にではなく、相手に合わせている虚像に、好意を寄せてくれているということです。どんなに親密に見えても、それが人と人との本当の繋がりだといえるでしょうか。

こんな短い禅語があります。

「露(ろ)」

どこにも包み隠すところがなく、すべてが露になっている、という意味です。一般的な言葉でいえば、「ありのままの自分」「素の自分」ということですね。もちろん、人間関係は重層的で、また、複雑ですから、文字どおりの露でいることはできませんが、そこから離れすぎないこと、露の自分を置き忘れないでいることは、大切なことだという気がするのです。

ものの見方、考え方、価値観のちがいは、図太く、率直に相手に伝えたらどうでしょう。ただし、伝え方には工夫が必要です。

「それはちがうと思う。こう考えるべきじゃない?」
「いや、いや、そうじゃないでしょう。それはちょっとおかしくない?」

こう真っ向から反論したのでは、相手の神経を逆なですることにしかなりませんし、相手にこちらの見方、考え方、価値観を押しつけることにもなります。まず、相手に理解を示すというワンステップを踏むことが大事です。

「確かにそういう考え方もあるわね。でも、わたしはちょっとちがってこんなふうに考えるのだけれど......」

人は自分が理解されたらうれしいですし、理解してくれた人に反感や敵意を持つことはありません。そして、相手のことも理解しようという気持ちになるのです。そこに、おたがいにちがいを認めながら、理解し合える関係が生まれます。ありのままを置き忘れないで、結びついている関係です。

こうした関係であれば、風通しはずっとよくなりますし、惨めになったり、苦しくなったりすることもありません。クヨクヨと悩みがちだった人間関係も、楽しめるものに変わるのです。

詩人の金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』(JULA出版局)と題した作品にこんな一節があります。

「みんなちがって、みんないい」

素敵な人間関係の土台になる、広くて豊かな心を感じさせる言葉です。さあ、ちがっている自分を伝えることから、そこに向けて歩き出しましょう。

 

お金や肩書きから離れると腹を割って話せる

「肝胆相照(かんたんあいて)らす仲」という言葉がありますが、本当に腹を割って話せる友人、心が通い合っていると感じる友人のことを思ってみてください。その人といつ頃出会って、親しくなったのかは、人それぞれだと思いますが、その関係にはひとつ、確かなことがあるはずです。その確かなこととは利害関係がいっさいないということです。

「こいつとつきあったら、いいことがあるぞ」
「あいつと仲よくなると、なんでも奢おごってもらえる」

そんな気持ちは微塵もなく、ただ、相手が好きだからとか、気が合うからということだけで結びつく。それが本来の友人関係というものでしょう。でも、そうした関係は、社会に出ると築きにくい面があるのではないでしょうか。多くは仕事を通して出会うことになりますし、少なからず相手との間には利害関係が存在します。そこで、

「あの若さで部長か。これはつきあっておくと、のちのち仕事で役に立つな」
「資産家の一人娘なんだ。仲よくしたらいい思いができそう」
「著名人だけあって凄い人脈。なんとか気に入られなくては......」

というふうに、相手と関係を築く際に、自分にとって利益になるか、ならないか、という要素が入り込んでくるのです。有り体にいってしまえば、利益になる、得をすると思えば近づく、利益にならない、損をすると判断すれば、離れるということにもなるわけです。

これでは友人にはなれません。仕事の縁が切れたら、関係も自然消滅する。仕事の切れ目が縁の切れ目となるのです。もちろん、社会人になってからのつきあいが、友人関係にまで深まるケースもあります。

たとえば、趣味やスポーツを通して知り合った相手がそれ。いわゆる「同好の士」という間柄ですが、そこには地位も、名誉も、肩書きも、また、資産があるかどうかということも、入り込んできませんから、心と心で結びつく。心底、仲よくなれるのです。

親友と呼べる間柄になってから、地位や肩書きを知り、「へぇ〜、おまえってそんなに偉かったんだ!」ということだってあるわけです。

「仕事関係で出会った人のなかにも、人間的な魅力にあふれている人がいる。そんな人とは仕事抜きでつきあいたいと思うが、相手の肩書きが凄かったりすると、それだけで引いてしまう」

確かに、そうしたこともあるでしょう。きっかけは仕事を通してであっても、生涯の師としたい人との出会いもある。そんな相手とつきあいを深めるためには、図太さが必要です。

その人が築いた地位や得た肩書きは、けっして天から降ってきたものではありません。不断の努力を重ね、いくつもの苦労を乗り越えてきた結果、その人の現在があるのです。そこに切り込むのです。

「お時間があるときに、社長のこれまで歩まれてきた道について、お話を伺いたいと思っています。勉強させてください」

機会を見つけてそんなお願いをしてみる。度胸がいることですが、大丈夫。その図太さは相手にとっても歓迎すべきものなのです。仕事目的で擦り寄ってくる人間は掃いて捨てるほどいるでしょうが、人間性に肉迫してくる人間は滅多にいないはずです。相手が受け容れてくれる可能性はおおいにある、といっていいでしょう。

実際、親子くらい、あるいは、祖父と孫ほど年が離れているのにもかかわらず、親友のような関係になっているケースはあります。その出発点は、相手の現在のポジション(地位、肩書き......)ではなく、そこにいたるまでのプロセス(道のり、苦労、経験......)に目を向けることです。そうすれば、相手に臆せず、図太さを発揮できます。

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