憲法改正の第一歩「国民投票法」 2007年に安倍首相が成立

NEWSポストセブン / 2012年5月2日 7時0分

 橋下徹大阪市長は憲法改正に必要な発議要件である国会議員の3分の2以上の賛成を2分の1にすること、参議院の廃止、憲法9条の是正を掲げている。1955年の自民党結党以来、党是とされつつ、実現しなかった憲法改正に着手するのか。これまでの憲法改正の道のりを拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏が解説する。

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 憲法改正のための第一歩は、安倍晋三元首相が平成19年(2007年)に通過させた国民投票法(正式名称:日本国憲法の改正手続に関する法律)である。

 これは憲法改正に向けた大きな一歩であるが、これに続く「第二歩」に必要なことはどんなことか、誰がやるのか。それを橋下徹氏ができるのか。

 まず、テクニカルな問題として、現行憲法は非常に改正しづらい仕組みになっている。日本国憲法は96条で改正の手続きを次のように定めている。

「憲法96条1項(改正の手続)
 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」

 要点をまとめると、【1】まずは衆参両議院でそれぞれ3分の2の賛成が必要。【2】国民投票にかけて、過半数の賛成を得ることが必要、という2段階方式になっている。これは非常に改正しづらい、面倒な手続きだ。橋下氏であろうが、誰であろうが、まずは、ここをクリアしないと改正にはいたらない。

 安倍晋三氏がやったのは、改正を実現するための具体的な手続き(おもに国民投票のやり方について)を、決めたことだった。たとえば、国民投票の投票権は誰にあるのか、投票運動はどこまで自由なのか、といったことなのだが、そういうことすら、2007年までは決められていなかった。

 改正しづらい形になっている理由は、おいそれと変えられないようにということである。もともと日本国憲法の性質が、戦後まもない占領下における、戦争勝者が戦争敗者に強要した、日本人を二度と立ちあがらせないようにした「外交条約」だったことに起因する。

 昭和20年(1945年)の玉音放送から、昭和27年(1952年)のサンフランシスコ講和条約まで、戦後、アメリカ等による6年8か月の被占領期があった。しかし、最初の3年4か月と、後の3年4か月でアメリカの方針は大きく変わった。

 前期では、膺懲(ようちょう=こらしめること)的な日本解体政策が取られ、その期間に、憲法が制定される。ところが、後半では、東西冷戦、そして朝鮮戦争が勃発したために、方針が「日本弱体化」から「西側の友国として育成」に変わる。

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