軟投派に変身のSB新垣 「球速表示一切見ないようにしてる」

NEWSポストセブン / 2012年6月15日 7時0分

 190cmの長身から投げ下ろす150kmを超えるストレート。新垣渚は、同い年の和田毅、杉内俊哉とともにソフトバンクを背負って立つ存在として将来を嘱望された。しかし、2人が順調にエースの階段を上り続ける一方、新垣は「暴投王」の烙印を押され、一軍マウンドから離れていった――。

 そして和田と杉内がチームを離れた今年、新垣は再びエースとして戻ってきた。一度も勝てなかった3年間の苦悩、そして同期に置き去りにされる恐怖と焦り。地獄を見た男が復活劇の裏側を明かす。

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 剛速球で甲子園を沸かせた男は、32歳を迎え、投球スタイルを大きく変えた。今季4年ぶりの復活を遂げ、その後もローテーションを守り続けているソフトバンクの新垣渚に、「150kmへのこだわり」を訊くと、ハッキリこう答えた。

「ないっすね。まぐれで出てくれればいいかな(笑い)。スコアボードの球速表示も一切見ないようにしているんです」

 4月1日、新垣は福岡ヤフードームでのオリックス戦のマウンドにいた。1058日ぶりの一軍登板である。7回まで「0」を重ねての8回無死二、三塁、一打出れば同点のピンチ。ここで投手コーチの高山郁夫が声をかけた。

「渚、いいよ、ランナー全部還しちゃえよ」

 これで開き直れた新垣は後続を断ち、1273日ぶりの勝利を収める。試合後のお立ち台では、人目を憚らず涙した。この日の深夜、新垣の携帯電話に「2勝目に繋がる大きな勝利、おめでとう」というメールが届いた。差出人は、同じ日に巨人移籍後の初勝利を挙げた、昨年までのチームメート・杉内俊哉だった。

 1998年の夏の甲子園。沖縄水産の新垣は、当時の甲子園史上最速となる151kmをマークし、その名を轟かせた。

「あの151kmは、自分の中でもっと上を目指すきっかけになり、同時に引きずることにもなりました。ピッチングどうこうよりも、ずっと球の速さにこだわっていましたから」

 この年の甲子園では、横浜(神奈川)の松坂大輔(現レッドソックス)に代表される「松坂世代」と呼ばれる好投手たちが躍動した。鹿児島実業の杉内、浜田(島根)の和田毅、そして新垣。高校卒業後は進学などで別々の道を歩んだ3人は、5年の時を経て同じダイエー(現ソフトバンク)の一員となった。新垣が当時を振り返る。

「和田は同期入団だし、1年先に入団していた(杉内)俊哉は甲子園でノーヒットノーランをやっていたので、インパクトは強かった。2歳年上の(斉藤)和巳さんを含めた3人に負けたくないという思いは、強く持っていました」

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