小宮悦子「久米さんからダメ出しの嵐だった私が変わった夜」

NEWSポストセブン / 2019年3月18日 7時0分

伝説のキャスターが伝説の番組を振り返る

 有働由美子アナ、夏目三久アナ、小川彩佳アナと、女子アナが“報道番組の顔”を務めるケースが増えているが、その“原点”は誰かと訊かれれば、多くの人が彼女の名を挙げるだろう。1985年から1998年にかけて『ニュースステーション』(テレビ朝日)を久米宏氏とともに支えた小宮悦子さんは、その後の報道番組における「女性キャスター像」を作り上げたパイオニアである。そんな小宮さんが、ワイドショーのリポーターから報道キャスターになり、そして自身が変わった瞬間を語った。(聞き手/岸川真=作家)

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 去年の5月、ギャラクシー賞の授賞式で20年ぶりに久米宏さんと並んで司会を務めさせていただきました。

 久米さんの隣にいると互いがシンクロしていくというか、『ニュースステーション』の“呼吸”が甦ってくるんです。久米さんの声が変わらず若々しくて、間の取り方も、全てが懐かしかった。傍らにいて、私にとって久米さんは師であり、『ニュースステーション』は故郷なんだな、と実感したものです。

 共に駆け抜けた激動の10数年がまざまざと思い出されて、感慨深いものがありました。

 いまだからお話しできますが、私は報道番組のキャスターどころか、アナウンサーを目指してもいなかったんです。もともとは編集者やコピーライターに憧れていました。就活の合間の一日、友人がテレビ朝日を受けるから一緒に行ったんです。そこで何の間違いか採用されちゃって。

 1981年に入社して、アナウンサーがどういう仕事かも具体的に理解しないまま、3か月の研修に突入したわけです。サ行の発音が出来ずに注意されると「なんて屈辱!」って心で文句を言ったり(笑い)。

 最初は天気予報と外回りリポートを担当したのですが、そこで待っていたのは、“無茶ぶり”の日々。ジェットコースターに乗せられ、着ぐるみを着せられ、アオダイショウを首に巻いたこともありました。

 日焼けして真っ黒になった自分を見て「大丈夫かな、私」と思わないでもなかったかな。その後しばらくはスポーツ担当でした。

◆久米氏からダメ出しの嵐

 1985年に入り、局をあげて新しい報道番組を作る動きが本格化していくわけですが、久米さん以外のキャストは公募制で、会社員、大学生を含めて数千人の候補者が集まっていたそうです。

 当時の私はワイドショー番組で現場を駆けずり回っていましたから、「予算がある報道番組はいいですねぇ」と冷ややかに眺めていたものです。

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