平成の紅白歌合戦 打ち切り説を乗り越えた挑戦の歴史

NEWSポストセブン / 2019年5月3日 16時0分

平成の紅白は挑戦の連続だった(2018年の紅白に出場したDA PUMP)

 元号が平成から令和に変わる直前の4月29日、NHKで『総決算!平成紅白歌合戦』が放送された。平成元年から平成30年までの紅白歌合戦をVTRで振り返りながら、第1部では北島三郎、松田聖子、嵐という歌手たちが、第2部では内村光良、バナナマン、出川哲朗、渡辺直美という芸人たちがそれぞれの想いを語った。はたして平成の紅白歌合戦はどのように総括されるのか。

「平成の紅白歌合戦は視聴率との戦いだった」と語るのは視聴率研究家でライターの岡野誠氏だ。同氏が、“平成の紅白歌合戦”を振り返る(文中で肩書きは当時。視聴率はビデオリサーチ調べ/関東地区)。

 * * *
 平成が始まった年、“紅白打ち切り”は現実味を帯びていた。

〈本当は今年で最後にして、なくしたい気持ちだ〉(朝日新聞・平成元年9月29日付)

 平成元年4月に就任したNHKの島桂次会長は、9月13日の定例記者会見で紅白歌合戦についてこう言及している。

 視聴率70~80%台という驚異的な人気を誇っていた大晦日の風物詩は昭和60年代に入ると、急激に数字を落としていた。都はるみの引退、チェッカーズの初出場などで沸いた昭和59年の78.1%から、60年は66.0%に下落。白組司会の加山雄三が少年隊の『仮面舞踏会』を『仮面ライダー』と間違えて紹介したことが話題になった61年には59.4%、62年は55.2%、63年は53.9%とわずか4年で24.2%も激減していた。

 いつの時代も、権威の急速な衰えは大きな話題になる。昭和63年の紅白歌合戦を伝える記事の見出しには、こんな言葉が並んでいた。

〈NHK「紅白歌合戦」の視聴率がまたダウン〉(読売新聞・昭和64年1月3日付)
〈「紅白」関東では過去最低の視聴率〉(朝日新聞・昭和64年1月3日付)

 この延長線上に、冒頭の島会長の発言があり、打ち切りが囁かれたのだ。平成元年、“昭和を振り返る”という名目もあり、紅白は開始時間を従来の21時から19時15分に改め、初の2部制を敷いた。しかし、視聴率47.0%(2部。以下同)と初めて50%を割ってしまう。島会長は〈公共放送にふさわしい大みそかの番組を職員とともに開発していきたい〉(朝日新聞夕刊・平成2年1月8日付)と紅白に代わる題材を模索した。

 結局、めぼしい代案がなかったため、平成2年も紅白は2部制のまま存続。島会長は現場にこんな要求をしていたという。

〈紅白のネーミング、大枠は残すにしてもマンネリ化は困る。歌を取り巻く現在の環境も変わっている。新しい時代を反映したものをどこまで出せるか?〉(日刊スポーツ・平成2年10月13日付)

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