岸信介、池田勇人、中曽根康弘 3人の宰相が権力誇示した館

NEWSポストセブン / 2012年9月11日 7時0分

 かつてわが国の政治家は、権力を誇示する場として大邸宅を構えた。そこには吸い寄せられるように人が集まり、政治のダイナミズムが時代を転換させてきた。ここでは3人の宰相の私邸にまつわるエピソードを紹介しよう。

■岸信介・御殿場邸

 1957年に首相に就任した岸を待っていたのは、日米安保条約改定と安保闘争への対応だった。連日デモ隊に包囲された岸は、首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟したというほど追いつめられた。新安保条約の批准書交換日からほどなくして岸内閣は総辞職。安全保障を米国に委ね、経済に注力することでその後の高度経済成長の礎を築いたのは、この時の岸の「決断」によるところが大きい。

 1970年に御殿場に居を移したが、ひそかに憲法改正と首相復帰を望んだという。現在は東山旧岸邸として公開されている。

■池田勇人・箱根仙石原別邸

「貧乏人は麦を食え」「中小企業の5人や10人自殺してもやむを得ない」──吉田茂内閣で失言続きだった池田は、政権の座に就くとひたすら低姿勢につとめ「寛容と忍耐」を掲げた。同時に、安保闘争に翻弄された岸信介を反面教師に、世論を政治から経済へ向かわせる。とくに、前尾繁三郎、大平正芳、宮澤喜一ら側近たちの演出で進めた所得倍増計画は国民を熱狂させた。

 限られた者しか呼ばなかったとされる別邸だが、心許せるブレーンと日本経済の行く末を語り合ったのだろう。

■中曽根康弘・日の出山荘

 権力への嗅覚が鋭く、「政界の風見鶏」と揶揄されることもあった中曽根の館といえば奥多摩の日の出山荘だろう。1983年11月、レーガン大統領夫妻をこのひなびた古民家に招いて「ロン・ヤス会談」をアピールした。

 それまでの日の出山荘は一人沈思黙考するための場所に過ぎなかったが、これを機に権力の館に変貌した。1987年には宮澤喜一蔵相、竹下登幹事長、安倍晋太郎総務会長のニューリーダーの3人を誘い、ロンと語り合ったのと同じ炉端で酒を酌み交わすパフォーマンスを演出。

 その後も書院を建て増し、ソ連・ゴルバチョフ元大統領や韓国・全斗換元大統領らを招くなど、権力と密接な存在となっていった。現在は「日米首脳会談記念館」として公開されている。

※週刊ポスト2012年9月21・28日号



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