奥川・佐々木はどうなる? 超高校級投手のプロ入り後の明暗

NEWSポストセブン / 2019年9月5日 7時0分

プロでの活躍が楽しみ

 今年のドラフトの目玉として注目を浴びる星稜・奥川恭伸投手と大船渡・佐々木朗希投手。こうした高校野球でのライバル関係は、「田中将大と斎藤佑樹」のようにその後プロでも続き、大きく明暗を分かつこともある。1964年夏の準優勝投手・池永正明(下関商)とセンバツ優勝投手・尾崎将司(徳島海南)は翌年、西鉄に揃って入団した。当時は鉄腕・稲尾和久を擁する全盛期だった。

「池永は1年目から20勝を挙げて新人王、1967年には23勝14敗で最多勝に輝いた。その活躍を見た尾崎が“あんな凄い奴がいたら俺は成功できない”とゴルフに転身した。しかし尾崎がプロテストに合格した1970年に、池永は『黒い霧事件(※)』でプロ野球界を去ることになってしまいました」(ベテラン記者)

【※/1969年に発覚した一連の八百長事件。池永をはじめ多数の永久追放者を出した。池永はその後、球界への復権を希望し、2005年に永久追放処分が解除された】

 1965年秋の初ドラフトでは、巨人が堀内恒夫(甲府商)、近鉄が鈴木啓示(育英)を獲得した。

「堀内は1年生の夏に甲子園でリリーフ登板するも、3年時は県予選決勝で敗退。鈴木も3年のセンバツで初戦敗退し、夏は出場できなかった。両者とも甲子園より、プロに入って輝いた。堀内は1年目に16勝2敗で新人王、最優秀防御率、沢村賞を獲得。鈴木も5年連続で20勝をマークするなどセ・パを代表するエースになった」(元デイリースポーツ編集局長・平井隆司氏)

 大きく明暗が分かれたのが、1974年夏の優勝投手・土屋正勝(銚子商)と、同大会の準決勝で敗退した定岡正二(鹿児島実業)だ。

 土屋は前年の夏の甲子園で2年生エースとして江川卓(作新学院)と対戦、延長12回を投げ勝ったこともあって最注目投手だったが、中日入団後は11年間でわずか8勝。一方、巨人入りした定岡は江川、西本聖と並ぶ3本柱として活躍した。

「土屋は“江川に勝った男”として名が知れわたり、2年秋から3年夏にかけて全国から招待試合の申し込みが殺到。投げすぎで入団前から肘や肩はボロボロになっていたようだ」(ベテラン記者)

◆荒木大輔の抽選を外した巨人は斎藤雅樹を獲得

 1981年の注目株は、同じ愛知県のライバル、槙原寛己(大府)と工藤公康(愛工大名電)だった。2人は愛知県代表の座を奪い合い、春は槙原の大府、夏は工藤の名電に軍配が上がった。

 工藤は夏の初戦でノーヒットノーランを達成するも、準決勝で報徳に敗れた。槙原はセンバツで金村明義擁する報徳学園を下した。

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