戦後の日韓外交はカネありき、これが後に大きな禍根を残した

NEWSポストセブン / 2019年9月9日 7時0分

日韓外相会談の冒頭、握手を交わす韓昇洲韓国外相(左)と河野洋平外相(写真/共同通信)

 54年前の1965年に日韓基本条約が締結されてからの数十年間、日本と韓国は現在とは見違えるほどの“友好”に満ちていた。

 当時は慰安婦問題や首相の靖国神社参拝が紛争化することはなく、日本からの経済協力で日本企業が韓国に進出し、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。その後も両国の経済関係は蜜月が続き、親善窓口となる日韓協力委員会や日韓議員連盟には与野党の国会議員がこぞって参加した。日本では「親韓派」が、韓国では「親日派」の政治家が政権中枢にいた。そしてメディアもまた、その“友好”を伝え続けた。

 だが、そうした時代から、現在の安倍晋三・首相や文在寅・大統領ら「反韓」や「反日」を露わにする為政者登場の“種”は植え付けられていた。

 日韓外交の在り方を考える材料として、戦後、日本と韓国それぞれの政治家が外交の場でどう振る舞い、現在の日韓関係の混迷に至ったのかを辿った。

 浮かび上がってきたのは、両国の歴代の主要政治家たちによる、「その場限りの利権や贖罪のための友好」という、「善隣外交(隣国との友好を深めるための外交政策)」とは似て非なる成り立ちだったことである。

 日韓の国交が始まってから54年。その間に「カネ」と「利権」の構図が現在まで繋がる形となっている。

◆「祖父と大叔父が深く関与」

 現在の韓国に強硬姿勢を続ける安倍晋三・首相と河野太郎・外相だが、歴史を遡れば戦後の日韓の国交樹立は、彼らの祖父の功績だった。「昭和の妖怪」の異名をとる岸信介・元首相と、「竹島密約」の当事者とされる河野一郎・元副総理である。

 戦後の日韓国交交渉(予備会談)は、朝鮮戦争さなかの1951年に米国の斡旋で始まる。だが、佐藤栄作内閣で日韓基本条約が締結(1965年)に辿り着くまでに、日韓双方の主張は激しく対立し、何度も中断された経緯がある。

 それを大きく前進させたのが「アジア積極外交」を掲げて首相に就任した岸氏だった。日韓の裏面史に詳しい菅沼光弘・元公安調査庁第二部長が指摘する。

「戦後の日韓交渉は、岸氏や安倍首相の地元の山口県と深い関係がある。韓国の李承晩政権は、日本海で操業する漁船を次々に拿捕し、山口県在住者を多く含む日本人船員が韓国に抑留された。彼らを帰国させるためにも、岸氏は韓国との外交関係を急いで築かなければならなかった背景がある」

 拿捕された漁船は最終的に327隻、抑留船員は3911人にのぼった。

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