引退の山崎拓氏 女性醜聞なければ総理の可能性あったとの評

NEWSポストセブン / 2012年10月19日 7時0分

 山崎拓・元建設相(75)は、誰もが惚れる“男気”で知られた。1998年、旧渡辺派から離脱し、約30人を引き連れて山崎派を旗揚げ。多くの領袖は派閥を引き継いだだけの“サラリーマン領袖”だが、山崎氏は自ら結成した派閥の「オーナー」だ。

 その強烈なリーダーシップをいかんなく発揮したのが、2000年11月の「加藤の乱」だった。

 自民党の加藤紘一・元幹事長が野党の内閣不信任決議案に賛成する姿勢を見せて森喜朗・首相に退陣を要求。それに対し、主流派の野中広務・幹事長らが加藤派と、それに同調する山崎派に切り崩し工作をかけた。ご存じの通り、加藤派は大分裂。しかし、山崎派は1人の脱落者も出さず、反乱をやりきった。結果は“討ち死に”だったわけだが。

「この時の山崎さんの人心掌握力には高い評価の声が上がり、滅び去る前の“最後の派閥領袖”として注目されました」(作家・大下英治氏)

 だが、好事魔多し。その“男気”はあらぬ方向にいってしまった。

 2002年に地元・福岡の元ホステスとの間に10年に及ぶ愛人関係があったことが露見。愛人は週刊誌で山崎氏の異常な性癖をベッド写真付きで暴露してしまったのである。後に、愛人は全裸ヌードまで披露して告白を続けた。

 それだけでも大ダメージだが、さらに美人女医とのトラブルや女性番記者とのディープな関係など数々の女性問題を報じられ、今では永田町イチの性豪として名を馳せている。

 あり余る“男気”が選挙民の反感を買い、2003年11月の衆院選で落選し、31年保った議席を失う。2005年の衆院補選では議席を回復するが、2009年に再び落選し、今年9月、次の選挙には出馬しないと引退を表明したのだった。

「政治家として高い見識や理論を持ち、求心力も併せ持つ器の大きな人と見ていました。女性スキャンダルさえなければ、やがては総理になる可能性が高かった。自分の派閥議員への面倒見の良さを付き合った女性にも示していれば、あんな醜聞は招かなかったでしょうに……」(大下氏)

※週刊ポスト2012年10月26日号



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