薬都・富山が生んだフィルム製剤 水不要、のみ込むのも不要

NEWSポストセブン / 2012年10月21日 16時0分

 口の中に入れたわずか数センチのフィルムは、すぐさま溶けてなくなった。薬効成分が含まれたれっきとした医薬品だ。水もいらない、のみ込むことすら不要という新しい「医薬品」は、富山の中小メーカーが生み出していた――。(文中敬称略)

 富山の売薬の歴史は古い。加賀百万石前田家の支藩富山藩藩主・前田正甫(利家のひ孫)が、産業振興として推進したのが始まりだ。300年以上経た今日でも富山は地場の製薬企業が多く、「薬都」と称される。

 製薬会社といえば、巨額の研究開発費が必要なことから、1990年代以降、世界規模での企業合併が繰り返されてきた。規模の小さい富山の製薬会社の生き残りをかけた戦いが始まった。

 外用貼付剤(湿布などの貼り薬)の専門メーカーとして名をはせていた救急薬品工業は、長年培ってきたその技術に新たな「鉱脈」を見出した。その端緒は1992年。この年、口内炎用の外用貼付剤を開発したのだ。同社初めての「口の中」に入れる製品。画期的なことだった。

 同社の研究開発部に所属する粟村(あわむら)努(39)の入社は1996年。口内炎用の貼付剤を開発して4年が経過していた。当時、外用貼付剤業界はマーケットの拡大で製品競争のまっただ中。新事業の開発はいったん中断されていた。粟村も湿布剤の開発を手がけていたが、上司に呼び出され、口腔内フィルム製剤の開発担当になるよう指示された。

 当時、口腔内フィルム製剤に挑む企業はなく、世界で初めての取り組みだった。ニッチだけれどもオンリーワンの技術の確立を目指す粟村の挑戦が始まった。

 粟村がまず取り組んだのが、「処方設計」。今まで例のないミクロン単位の薄いフィルム医療品への挑戦は難問の連続だった。溶ける「速さ」、品質を所定の「期間」保てるかどうか、さらに「味」。試作しては確認し、確認しては試作する繰り返しだった。専用ラインがなかったため、実験台の上での作業は気が遠くなるようだった。

 それでも、粟村はめげない。「苦労を苦労と感じるようではモノづくりはできない」。それが信念なだけに、全く辛くはなかった。

 さらに、どのような薬が口腔内フィルム製剤に適しているのか、粟村は、用途も考慮し、大手製薬メーカーの担当者とともに開発すべき薬を模索。真っ先に開発したのがトローチだった。

 ひと口にトローチといっても、フィルムに塗布する処方が無数にある。処方次第で舌触りや効き目が現われる時間も微妙に異なってくる。どの処方が口腔内フィルム製剤に適しているのか。一つ一つ地道に検証する作業が続いた。

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