94才・橋田壽賀子が語る 母・夫・姑 そして「私は二流」

NEWSポストセブン / 2019年12月11日 7時0分

現在は週3回、個人トレーナーについてトレーニングを行ったり、独身時代からの友人とよく一緒に旅をする。ともに夫を見送り、気楽な立場だ(撮影/森浩司)

 36年ぶりに再放送中の『おしん』(NHK BSプレミアム)や、9月に放送された『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)の3時間スペシャルドラマなど、令和になっても、橋田壽賀子作品は人々の注目を集めている。そんな中、橋田は94年の人生で初の自伝的エッセイを発売。その素顔に迫るべく、取材陣は熱海へと向かった──。

『おしん』執筆のきっかけは、戦後すぐに山形を訪ねた時の経験からだ。地元の人が「この辺りでは、ついこの間まで多くの娘たちが、小学校を出るか出ないかの年で、米一俵と引き換えに奉公に出たものだ」と語るのを聞き、自分の境遇との差に愕然とし、作品の構想を温め続けた。

 貧困と闘ったおしんは生涯を、橋田自身は青春時代を戦争に翻弄されて生きた。戦争で奪われた命をたくさん見た。だから、橋田は、「人殺しは絶対に書かない」と言う。

 おしんの人生は、橋田自身の94年の人生とも多くの部分が重なる。先頃上梓した自伝的エッセイ『人生ムダなことはひとつもなかった 私の履歴書』(大和書房)では、これまで秘めてきた波乱の半生を綴っている。おしんとの違いは、橋田は経済的には何不自由のない家に生まれ育ったことだ。

「でも、子離れできない母のもとで、不自由な子供時代を送っているんですよ。父が、現在の韓国・ソウルで事業をやっていたので、私と母は大阪で2人暮らしだったんです」

 母親の愛情の“はけ口”は、ひとりっ子の橋田に集中した。

「私がひとりではさびしいだろうからと、山のようにおやつとおもちゃを用意して、友達を家に招くんです。当時のことですから、どこの家も子だくさんで、友達はみな、おやつもろくに食べられない。だから喜んでうちに来る。

 私は友達と遊ぶなんて面倒くさいことは嫌。ひとりで本を読んでいたいのに。女学校に行くようになってからは、帰りが少しでも遅くなると、電信柱の陰に隠れて母が待っている。私の欲しくない愛情を注いで、自分の思うとおりに育てたい、子離れできない母でした」

 母親から逃れたい一心で東京に出た。東京の日本女子大学校(日本女子大学の前身)の入試が大阪であることを知り、宝塚歌劇団を見に行くとうそをついて受験。見事に合格して、伯母を頼って上京の準備をしていると、「親を放って東京へ行くなどという親不孝者があるものか!」と母親は怒って、東京で暮らすために用意していた布団をはさみで、ずたずたに切り刻んだ。

 大学の寮では炊事当番もこなさねばならなかったが、じゃがいもの皮もむけないで、からかわれた。だが、大学4年間の寮生活で、家事をしっかり身につけたため、結婚してからは仕事のかたわら、毎日きちんと料理を作った。ところが、

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