1980年代の「漫才ブーム」、仕掛け人が語る熱狂の舞台裏

NEWSポストセブン / 2020年6月26日 16時5分

『花王名人劇場』などお化け番組を数多く手掛けてきた澤田隆治さん

 お笑い芸人のメジャー化に貢献した『花王名人劇場』などお化け番組を数多く手掛けてきた澤田隆治氏(87)。1980年代の「漫才ブーム」の仕掛人が、当時の舞台裏を振り返る。

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 あの漫才ブームはたまたま。狙ったものではなく、関西テレビ(フジテレビ系)の『花王名人劇場』がゴールデンで視聴率を取ったことがきっかけでした。それまでは昼間のソフトだった演芸が、ゴールデン、それも日曜日の夜9時での成功。放送関係者に与えた衝撃は大きかった。

 あの時間帯は激戦でした。NHKの『日曜スペシャル』をはじめ、TBSの『日曜劇場』や日本テレビの『桃太郎侍』が高視聴率をあげるなか、フジテレビだけが弱かった時間帯だった。フジは連続ドラマをやっていたが、どうやっても視聴率が取れず、そこでバラエティ番組を提案した。スポンサーの花王はOKを出してくれたが、ドラマへの想いが強い関西テレビが納得しない。

 そこで『花王名人劇場』として森光子や山田五十鈴を起用したが、それでも視聴率が取れなかった。半年で打ち切りと見られていたが、番組の名付け親だった花王の専務から「いつになればお笑いをやるんだ」と聞かれ、年明け早々、番組に漫才を取り入れた。

 当初はベテランを使うつもりだったが思い切って若手を起用しました。当時、関西では横山やすし・西川きよし、東京では星セント・ルイスが頭ひとつ抜けていた。残り一組に東京へ移ったばかりの新人・B&Bを抜擢。この3組に漫才を1時間やらせました。

 ギャラも格安なのに、2ケタの視聴率。テレビ界は騒然でしたよ。その後のドラマのラインナップもすべて漫才に変更しましたが、スターも少なかったので大阪で売れ始めた島田紳助・松本竜介を使ってみると、これがまた大ウケ。フジがそこから『THE MANZAI』を始めるなど広がりを見せたことで、俗に言う「漫才ブーム」が起きた。

 当たってしまえば「視聴者が求める笑い」というのは分かっていたので、新人をどんどん起用した。というのも、関西では『プロポーズ大作戦』、『探偵! ナイトスクープ』といった番組で若手芸人が高い数字を弾き出していましたが、当時は関西弁が東京では通じなかった。それが漫才ブームで受け入れられ、東京人も「アホか」と言うようになったから同じ手法で行けると自信があったんです。

 最近のことはよく分からないが、漫才ブームも当時のメディアが取り上げて定着したことを考えれば、若手芸人が時流に乗るために新しいネーミングとして「第7世代」を名乗るのは正しいと思う。

 コンクールが増えて有望な新人が出てくるようになったが、それでも年間に数組。中にはダウンタウンや中川家のような逸材もいる。そういった漫才師も売れてくると漫才をやらなくなり、ネタを作るのがしんどいからと司会やバラエティ番組とかに走ってしまう。それが、今の漫才の難しさですね。

●取材・文/鵜飼克郎

※週刊ポスト2020年7月3日号

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