島田洋七 たけしと2000万円抱え初めて自腹で銀座で飲んだ夜

NEWSポストセブン / 2020年6月29日 16時5分

B&Bは漫才ブームを牽引した(時事通信フォト)

 1980年代の漫才ブームを牽引した元B&Bの島田洋七(70)が、ツービート時代の親友・ビートたけし(73)と豪遊した破天荒な時代とその後の栄枯盛衰を振り返る。

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 1980年に漫才ブームが始まる前年、大阪から東京へ進出しました。東京に腰を据えたら全国区になれるんちゃうやろかと、吉本興業を辞めて東京に引っ越したんです。

 その直後にスタートしたのが『花王名人劇場』(フジテレビ系)。大阪でも前例がなかった日曜日ゴールデンの「漫才番組」でした。横山やすし・西川きよし、星セント・ルイス、そしてB&Bの3組がコマーシャル抜きのぶっ通しで漫才をした。僕たちだけが新人でしたが、負けないくらいウケましたよ。

 驚いたのは放送翌日に花王のシャンプーのコマーシャルの話が来たこと! 通常はアイドルの仕事やからね。僕らでいいのかと思ったもんね。

 東京に進出した直後は15万円の固定給だったが、1年後に事務所が歩合にしてくれた。当時の給料は振り込みじゃなくて現金で、最初にもらった月給が504万円だったのにはビックリしました。

 その後も仕事はどんどん増えて、最高でレギュラーが週に19本。給料も右肩上がりで、出版社の編集者に誘われて初めての銀座も経験した。

 そして、「次は実力で行ってみるか」とたけしと自腹で銀座に行ってみた。ただ行ったはいいが、たけしが銀座のクラブのナンバーワンホステスの月給が200万円だという記事を読んで、1軒200万円と勘違い。給料日にお互い2000万円ずつカバンに詰めて銀座に行ったので、怖くて店では荷物を預けられずに抱いたままだったから、ちっとも楽しめんかった。それで会計をしてもらうとたった13万円。たけしは「安~っ」と叫んでた(笑い)。金銭感覚のマヒというより無知で、税金もたんまりもってかれましたが、とにかく最高な毎日でしたね。

 こんな時代が4年ぐらい続いたかな。漫才ブームが突然終わったわけでもないが、たけしはバラエティをやり、紳助は司会をやった。僕は漫才が一番得意だった。相方を変えればまたウケると思ったのが間違いで、僕だけ仕事が激減したが、居候をしている時にたけしのアドバイスで『佐賀のがばいばあちゃん』の本を書いてベストセラーになった。「笑えば医者いらず」をテーマにした講演も人気が出て、ありがたいことに今では4800講演を超えている。僕は浮き沈みも日本一やと思っています。

 もちろんM-1のような戦いの場は必要で、せめてそこでファイナリストに入らないと使う側だって面白さが分からないだろうが、そもそも今の若い子はテレビに出るまでの芸が出来上がっていない。だから消えていく漫才師が多すぎる。ミルクボーイがウケた理由は芸が完成していたからです。まずは板の上で漫才の基礎を作り、その上でテレビ芸を覚えるとブレークする。ツービートもB&Bもそうやってきたよ。

●取材・文/鵜飼克郎

※週刊ポスト2020年7月3日号

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