加藤雅也「ヘリコプターで降ろされたような」俳優デビュー

NEWSポストセブン / 2020年10月4日 7時5分

モデルから俳優に転身した際の苦労を振り返る

 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、モデルから俳優に転身して30年以上経った加藤雅也が、そのキャリアの始まりについて語った言葉をお届けする。

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 加藤雅也は大学4年生からモデルとして活動、一九八六年には『メンズノンノ』の創刊号に起用されている。

「父親に大学に行かせてもらっている以上、『好きだから』とかそんな単純な理由で将来の道を選ぶわけにはいきませんでした。その道でやっていけるか、自分で見極めないといけなかった。

 その時気づいたのは、この世界が他力本願だということです。努力して試験に合格すれば弁護士や医師という職業につけますが、モデルも歌手も役者も、仕事が来なかったら『自称』でしかない。

 そして、この世界での『売れる・売れない』は『時代に合っているか、いないか』だということだと思いました。『メンズノンノ』に選ばれたことは、『時代に合っている』という指標なんじゃないか。そう考えてモデルの道に進む決心をしました。

 しかし、僕はCM系の事務所だったので、ファッション系の仕事を取る為には自分で売り込みをしなければなりませんでした。『オーディションがあったら呼んでください』と訪ねていってもプロフィールを受け取ってくれる人は少なかった」

 その後、モデルとしてパリコレの舞台にも立っている。

「行ったら慄然としました。世界とのレベルの差が凄い。向こうは当時、ギリシア彫刻みたいなモデルばかりでしたから。

 帰りの飛行機の中で『これはダメだ』と思っている時に、考えるようになったのが、俳優という表現でした。モデルは体格やルックスが重要ですが、俳優は背が小さくても太っていても、それが個性としてある。個性を磨けばやっていけるかもしれないと模索を始めました」

 一九八八年、松竹映画『クレイジーボーイズ』でいきなり主演デビューを果たした。

「これも時代ですよ。当時はモデルがブームで、風間トオルさんや阿部寛さんといったモデル出身の俳優が人気になっていました。そういう時代の流れだったんです。僕らは二十年早かったら、なれなかった。草刈正雄さんがモデルから俳優になられた時代は、最初は冷たく扱われて大変だったと聞いています。

 それから、当時は各映画会社が新人をスターとして育てようとしてくれていたんです。仲村トオルさんが『ビー・バップ・ハイスクール』でデビューしたり、新人を使って夏休みや冬休みの映画を作っていて。僕らが、そのシステムの最後でした。

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