誰かを「コロナ脳」呼ばわりして、何かいいことあるはずがない

NEWSポストセブン / 2020年10月11日 16時5分

「新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)」(時事通信フォト)

 コミュニケーションのあり方は多様化している。もちろん言葉の選び方には気をつけるべきだろう。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。

 * * *
 今年の春に新型コロナの緊急事態宣言が発令されて以来、とんとご無沙汰だった馴染みのバーで先日飲んだ。途中から客が私一人になって、店がいかにコロナに振り回されてきたか、たっぷりマスターの愚痴を聞くことになった。ひとしきり話し終えた後、彼がこんな言葉を漏らした。

「いやー、いろいろ話せてちょっと気持ちが楽になりましたよ。店でコロナの話はタブーですからねえ」

 タブー? その意味するところを尋ねてみると、コロナについてはお客によって考え方や感じ方がさまざまで、かつ、意見が対立しやすいので、話題にするのを極力避けてきたとのこと。実際に、この話題で店内が険悪な空気になったこともあるという。

 酒場で政治と宗教とプロ野球について話をすることはタブーだと、昔から言われているが、今日ではそれにコロナが加わったようである。たしかに、感染予防のためにどれだけ行動自粛するかという点でも、人によってかなりの違いがある。私のように、静かにグラスを傾けるバーで楽しむぐらいはOKだろう、という人間もいれば、そういう夜遊びなんて危なっかしくてとんでもないと思う人間もいる。

 明らかな三密状態は避けようとか、手洗いやアルコール消毒はマメにしましょうとか、他人に伝染さないためにマスクをしましょうとかいったあたりは、アンダーコロナ社会におけるマナーとして、ほとんどの日本人が共有していると思うが、そこからちょっと離れたことになると意外に人それぞれだ。

 いや、上記のうちマスクについては、最近、ちょっと状況が変わってきている気もする。誰から強制されたわけでもないのに、みんな外出時にマスクを着用している日本人の同調性について、欧米人は「なぜ?」と不思議に思うそうだが、このところは夜の繁華街で主に若い人たちがノーマスクでわいわい騒いでいる姿をよく目にする。そのまま電車に乗って大声でのお喋りを続ける連中も少なからずいて、自粛について比較的ゆるめな私でも「ちょっとやばい感じだな……」と戸惑ったりしている。

「マスク信者」に「マスク原理主義」

 若い人はもし感染しても滅多に重症化しないから、飲んだ勢いで、「知ったことかー、俺たちは自由だー」というノリになってしまうのだろう。気持ちはわからないでもないので、そうした姿を見かけてもスルーしているが、もし私が「君たち、電車内ではマスクをしようよ」と注意したらどうなるか。案外、素直に従ってくれる気もするけれども、中には舌打ちして「(このマスク信者め……)」と睨み返してくる者も混じっていそうだ。いや、そういう目で自分が見られたくないがゆえに、私はノーマスクで騒いでいる若者を注意できないのかもしれない。

「マスク信者」に「マスク原理主義」。科学的にどれだけ感染予防効果があるのか、確実なエビデンスがあるわけではないマスクの着用をとにかく絶対視し、そこから先は思考ストップしてしまっている人たちのことを、ネット上ではかなり早い時期からそんなスラングで侮蔑する向きがある。

 侮蔑。そう、「マスク信者」や「マスク原理主義」といったスラングを使う人たちは、たいてい上から目線だ。そして、対象者を全否定している感がある。攻撃性が強い。

 科学的に無知で、自分が無知であることの自覚もなく、ただひたすらにマスク着用を強要してくる人がいたら、なるほどウザい。侮蔑語で斬って捨てたくもなる。ただ、人にはそれぞれの事情もあり、マスク着用を前提にやっていかなきゃいけない場合もある、といった想像力もないといけない。

 少し前に、堀江貴文が広島県の尾道で餃子店に入ろうとしたところ、このマスクの件でトラぶったという話があった。同行者の1人がノーマスクだったことで入店を拒否され、堀江が店主と揉めたそうなのである。そのちっぽけなトラブルについて、圧倒的な配信力のある彼がフェイスブックで公開投稿。餃子店の店主もブログで反論したところ、炎上してしまい、結果、いたずら電話が店にがんがんかかってきて、奥さんが体調不良となり、店は休業に追い込まれてしまった。

 この件は、店側も下手に反応しないでやり過ごせば良かったのだが、それ以上に、堀江貴文の最初の投稿に問題があったと思う。部分引用すると、彼はこんなふうに書いた。

〈「ウチはマスクしてないと入店できないんです」の一点張りで話が先に進まない。そしたら店主らしき人が出てきて「ホリエモンか?」とかいきなり言われて、同じ話をしたら「面倒くさいんで入店しないでくれ!」とピシャリ。マジやばいコロナ脳。狂ってる〉

〈とにかく来店時さえマスクをつけて黙っていろってスタンスなんだろうけど、別にマスク着用を拒否してるわけでもなく、ルールの厳しさを聞こうと思ってるだけなのに超失礼な対応されて怒りに震えてる。なんかピーチの飛行機の中でマスク拒否して飛行機降ろされた人じゃないけど、そろそろこのマスク原理主義なんとかならんもんかね。社会がギスギスしてる〉

 ううむ、社会のギスギスは、こういう投稿で尚更増してしまうのではないだろうか。

 文中とても気になったのは、彼の言葉使いだ。〈そろそろこのマスク原理主義なんとかならんもんかね〉と、斬って捨てる系の侮蔑語をここぞと使用している。そして、前段の〈マジやばいコロナ脳〉。「コロナ脳」というスラング、これも非常に侮蔑的だし、使ったら最後、そこから先に何かあるかもしれない相手の事情への想像、それこそ思考をストップさせるやばい言葉なんじゃないだろうか。

 餃子店の店主がなぜ強くマスクに拘ったのかはわからない。が、その人ならではの考え方、基準があるはずなのである。店には「マスク未着用の方はお断り」という張り紙がされていたそうだが、それがこの店主の方針であり、意思表明である、そういう人もいるよね、とりあえず以上ということでいいんじゃないだろうか。

 繰り返すが、人にはそれぞれの事情がある。たとえば、医療や介護従事者は人一倍コロナに敏感だ。なぜなら、もし自分が感染してしまったら、職場全体が検査対象になり、活動をストップしなければならなくなる可能性が高いからだ。

 家族に高齢者や基礎疾患のある人がいる場合も、敏感になる。重症化や死亡リスクへのリアリティが、そうでない人に比べて格段に高い。身近な人に問題がなくたって、そもそも心配性の人もいる。それはもしかしたら、動物の個体として慎重に行動しないと生存しにくい身体の持ち主だから無意識にそうしているのかもしれない。

対立構造をこじらせる効果しかない

 そんなこんなの事情がいろいろあるのだから、侮蔑語のレッテル貼りはやめようじゃないかと、言っておきたいのだ。特に「コロナ脳」には強い攻撃性を感じる。かつて「放射脳」というスラングがあったが、あれと同じだ。対立構造をこじらせる効果しかない。ためしに、ツイッターを検索してみると、以下のように使われていた。

〈左翼というのは物事を上っ面だけでしか見れない。差別があれば差別はよくないと叫ぶし、感染が広がればロックダウンしろと叫ぶ。何故そうなのかを全く考えられない。ツイッターだと面白い具合に左翼はコロナ脳だし、コロナ脳は左翼。自分のことを頭がいいとは思わないけど、左翼は本当に頭が悪いと思う〉

〈コロナ脳は疑問力が0未満で、普通なら疑問に思う事も疑問に思わずスルーしてしまう。この何も考えてないろくでもない常識に凝り固まったバカが、こちらが非常識だみたいに確信をもってバカにしてくる。 この馬鹿たちには猛烈に腹が立つ。思考できないくせ偉そうに主張するんじゃねえよ〉

〈コロナ脳ババアマジで死ねよ そんなにソーシャルディスタンス(笑笑)守りてぇーならバス乗んなよ高齢者なんたらでタダ乗りしてる分際で文句言うんじゃねーよアホ〉

 読むほどに殺伐としてこないだろうか。こんなふうに誰かを「コロナ脳」呼ばわりして、何かいいことあるはずない。

 敏感派の中には、以下のようなツイートをしている人もいる。

〈私は隠れコロナ脳です…子供は学校に行かせてるし、ノーマスクな職場にうんざりしながらも仕事続けてるけど、友達からのお誘いはなんだかんだと理由をつけて断って、いまだに買い物も外出も最低限。毎日Twitterでコロナ情報チェックして…〉

 この女性が「隠れ」なくても済む社会の寛容さが、もっと欲しいと思う。コロナ禍はこれからどうなるかわからない。年内は当然、来年になっても収束の目途がつかないまま、マスク必着でちょっと息苦しい毎日が続く可能性も大いにある。

 自粛の仕方は、人によってよりばらけてくるだろう。自分と違う考え方、やり方の人を前にして、イラッとすることも増えるかもしれない。でも、そこをぐっと我慢というか、さらりと受け流すというか、下手に白黒をつけようとせず、できればどちらにも理解を示せる人間でありたいものだ。そんな一種の胆力が試される時代に、我々は生きている気がする。

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