昭和の大横綱・大鵬が生きていたら…「四股でコロナを踏みつけていた」

NEWSポストセブン / 2021年2月23日 7時5分

大鵬は大横綱になっても慢心せず、周りに気を遣う人だったという(写真/共同通信社)

 政治や経済のみならず、スポーツ界にも停滞感や閉塞感が漂っている。ノスタルジーに浸るつもりはないが、昭和の時代を彩った横綱・大鵬が今の時代に生きていたら、このコロナ禍をどう乗り切っただろうか──。芥川賞作家の高橋三千綱氏が歴史を振り返りながら想像した。

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 連続6場所2回を含む優勝32回を記録した昭和の大横綱・大鵬ですが、横綱としての品格も抜きんでていました。

 北海道の貧しい家庭に生まれた大鵬は、偉大な大横綱になっても慢心せず、付け人たちには「小遣いはあるか」「飯は食っているか」と常に気遣う人だった。

 行司の差し違えで45連勝という大記録が途切れ、「世紀の大誤審」と言われた戸田戦(1969年春場所)でも大鵬は「あんな相撲を取った自分が悪い」とコメントしている。これぞ、横綱の品格である。

 そんな大鵬が今の時代に生きていたらさぞや嘆いたでしょう。

 相撲協会は1場所4億~5億円とも言われるNHKからの放映権料のことしか考えていない。無観客や観戦制限で強行開催しようとする姿勢に対して、大鵬が現役横綱だったら「相撲は満員の観衆の前で取るものだ」と宣言して休場してたでしょうし、もし八角親方(元横綱・北勝海)のように理事長の立場なら本場所の中止を即刻、決断したはずです。

 大鵬は江戸時代の相撲取りに憧れていた。当時、相撲は“庶民の娯楽”であり、土俵周りを人が取り囲み、やいのやいのと歓声を浴びながら取るもの。大鵬も国技館を埋め尽くす観衆の前で取らなければ意味がないと。観客に対しても気遣いをする横綱だった。

 大鵬の雲竜型の土俵入りはゆったりとして気品に満ち溢れていたといわれる。そもそも四股は本来“醜(しこ)”を踏みつける所作であって、土俵では地中の悪霊を踏みつけて鎮める、邪鬼を払うという意味がある。大鵬なら稽古場で四股をしっかり踏み、奉納土俵入りなどでコロナを踏みつけたのではないか。

 大鵬の奉納土俵入りを見たことがあるが、石畳でドンと四股を踏む姿は威風堂々として実に見事でした。力士は相撲を取らなくても、観客に勇気と感動を与えられる。

 角界には「江戸の大関より故郷の三段目」という言葉がある。地元出身の力士を贔屓にする風土だ。

 大鵬なら、休場を繰り返し、保身しか考えていない横綱に代わって先頭に立ち、力士たちを故郷に帰らせて、各地の土俵で四股を踏ませただろう。

※週刊ポスト2021年2月26日・3月5日号

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