「純と愛」敏腕脚本家の刺激的展開 毎朝見ると疲れるとの声

NEWSポストセブン / 2013年2月6日 16時0分

 NHKの朝ドラはその歴史、幅広い視聴者層、長期間に及ぶ放送からして独特の番組だ。それだけに制作側も“独特の演出”を求められるのだろうか。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。

 * * *
 NHK連続テレビ小説『純と愛』も残すところあと1/3。2か月を残すだけとなりました。視聴率は17~18%台と、低下することもなく一定の水準を保っています。いまだにお茶の間の関心を惹きつけ続けている、と言っていいでしょう。

 ラストへ向かっての「視聴率維持」の工夫の中に、ある問題が隠れている、と思うのは私だけでしょうか?

 最近のストーリーは、DV、立てこもり、離婚、失業、認知症。乳幼児を火傷させる。包丁をとり出して自殺未遂。とにかく刺激的でダークでエグいエピソードを狙っているのか、その連続です。

 一言で表せば、刺激、刺激、刺激。小さな人間集団の中に、次から次へと刺激物を投入する脚本家・遊川和彦氏。

 それによって、ハラハラドキドキさせて、視聴者を次に引っ張っていく。「お化け屋敷」手法と言えばいいでしょうか。

 でも、毎朝、刺激物を与えられている視聴者が、もはや心に疲れを感じていることに、脚本家はお気づきでしょうか。

 視聴者のこんな感想に、ハッとさせられました。

「不朽の名作がぼろぼろに捨てられ、投げられる。なぜこんな表面的で安直な演出しかできないのか」

 それは、投げやりになった父・善行が、そこにあった太宰治『人間失格』の文庫本を投げ捨てるシーン。ドラマのストーリーと『人間失格』の関係は何も描かれていない。ただ『人間失格』というタイトルだけを利用したかったのでしょう。が、この本に思い入れがある視聴者なら、ぞんざいに投げ捨てられるだけの素材扱いに、憤怒して当然でしょう。

 そうです。このシーンがまさしく象徴しています。

『人間失格』も、認知症も、自殺未遂も、引きこもりも、DVも。単に、物語を引っ張るための刺激的素材として使っているだけ。お化け屋敷の中で、次から次へと怖い仕掛けに出合うがごとくに。そんな風に感じてしまうから、見る側には疲労感や暗さやむなしさばかりが残る。

 お茶の間の一般庶民の暮らしの中に、認知症もDVも引きこもりも実際にある。そのひとつひとつの対処に、全エネルギーを注ぎ、毎日毎日格闘しながら何とか生きている人がいっぱいいる。だから、単なる刺激物として扱われることに敏感なのです。

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