1990年代黄金期のヤクルト 古田の控えに優れた二番手の存在

NEWSポストセブン / 2013年3月4日 16時0分

 プロ野球の世界には代打、代走、守備固め……二番手には様々な選手が存在するが、その中で最も存在感を放つのが、「控え捕手」である。扇の要である捕手は、最も優秀な“影武者”を必要とする。強いチームであればあるほど、優れた控え捕手がいて、どちらがマスクを被っても戦力がダウンしないよう編成されているものだ。

 1990年代に黄金時代を迎えたヤクルトにも、優れた控え捕手がいた。当時の正捕手は1989年のドラフト2位でトヨタ自動車から入団した古田敦也。その控えだったのが、同年ドラフト外で習志野高から入団した野口寿浩だ。『ドラフト外』(河出書房新社)の著書があるノンフィクションライターの澤宮優氏は、光る二番手として、この野口がまず頭に浮かぶという。

「古田は即戦力の社会人、野口は高卒ルーキー。立場は違いますが、野口の方が肩も強く二塁への送球では上だったし、打撃も古田よりパンチ力があった。劣っていたのはリード面。当時は“ID野球の申し子”として野村克也監督が古田を使い続けたこともあり、野口は長く控えに回ることになりました」

 1994年のこと。シーズン途中、古田がケガで長期間欠場し、出番が回ってきた。スタメン起用では何度か猛打賞をマーク。一軍でやれることを証明したが、古田が戻るとまた控えとなった。

「そこから彼の苦悩が始まりました。自信がついただけに、試合に出たくてたまらなかったはずです。そして、1998年に自らトレードを志願して日本ハムへ移籍。すぐにレギュラーになって、オールスターにも2回出場しました」(澤宮氏)

 2003年、阪神に移籍。広島の金本知憲らと同時だったが、当時の星野仙一監督をして「野口が一番の補強」といわしめた。しかし、ここでも再び正捕手・矢野輝弘の控えに回る。ただ、エース級投手の“ご指名”を受けて生き残った。井川慶がノーヒット・ノーランを達成したときにマスクを被っていたし、現エースの能見篤史の入団以来、女房役を務めたのも野口だった。2009年オフにFAで横浜に移籍し、翌年引退する。

「当初課題とされたリードも、経験を積むにつれて独自性を出していきました。古田のリードが打者の嫌がるところを突くリードならば、野口のそれは、投手のその日一番いい球をどんどん要求するメジャー流。出場機会を求めるなら、打力と肩を活かして外野にコンバートという選択肢もあったでしょうが、どんなに冷や飯を食わされても、最後まで二番手の捕手としてプレーした。それは彼の誇りといえるでしょう」(澤宮氏)

(文中敬称略)

※週刊ポスト2013年3月15日号

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