国民栄誉賞の長嶋&松井 ともに敬遠から奇縁・宿縁を生んだ

NEWSポストセブン / 2013年5月14日 16時0分

 長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞の同時受賞。野球の神様が差配したかのような二人の生き様。後に師弟となる両者が初めて交わったのは、1992年のことだった。

 13年振りの巨人監督復帰を翌年に控えたその年、長嶋の初仕事が同年秋のドラフト会議で“超高校級”と評された松井の籤(くじ)を引く事である。

 松井が時の人になったのはドラフトから遡ること3か月前、甲子園での5打席連続敬遠劇によってだった。この時初めて長嶋は松井についてコメントしている。

「高校球界ではナンバーワンのバッターでしょう。テレビで見ていたんですが4回も続けて敬遠され、正直な話、むかつきましたよ。でも松井君は冷静でした……」

 第一期巨人監督(1974~1980年)からの退任以後、雌伏の時を過ごしていた当時の長嶋が、松井のことを次期巨人軍の戦力と見ていたかは定かではない。

 それでも長嶋は松井の資質を見抜く言葉を発している。

「4回も敬遠された彼が次にどんなバッティングをするんだろうという興味にかわった。結果は5打席目も敬遠されたけど、松井君の態度は実に立派で男らしかった」

 その姿勢に野球人としての松井の将来をみたのは、長嶋も数多の敬遠に辛酸をなめてきたからだろう。

 巨人黄金期、チャンスに無類の強さを発揮する長嶋を得点機に打席に迎えることは、バッテリーとしては脅威だった。

 球史に残るのが1968年5月11日の中日戦。2死二塁の場面で長嶋を一塁に歩かせることを選んだ山中巽投手に対して、長嶋は3球目からバットを持たずに打席に入った。球場は揺れに揺れた。山中投手も一瞬、顔色をかえたが結局、長嶋に対し2球続けてボールを投じた。

 長嶋のあからさまな挑発には賛否が分かれたが、野球とはチームの勝ち負け以前に、男と男の真剣勝負であることを改めてファンに知らしめた。

 敬遠といえば長嶋にはもう一つ知られざる逸話がある。

 1973年8月14日のヤクルト戦。今度は長嶋が王貞治の5打席連続敬遠をネクストバッターズサークルで目撃する。敵将は“魔術師”三原脩。勝利には奇策もいとわない三原は打率3割5分、本塁打31本の四番・王より、打撃に翳りが見えつつあった五番長嶋の方が与し易し、とみた。

 結果は1安打こそ放ったものの、得点機の打席でことごとく凡退。長嶋はベンチにヘルメットを投げつけ、悔しさを露わにした。

 試合後、顔を真っ赤にしながら、「今日は本当についていない」と長嶋は嘆く。だが、相手の采配については一切難癖をつけなかったという。

 俺と勝負せよ、と素手で打席にたった日から5年。敵将の非情采配になすすべのない自らを知るにつけ、球界の中心が長嶋から王へとかわったことに気づかされたのである。

 翌年、長嶋は引退した。

 敬遠に怒り、敬遠に泣いた長嶋。一方、5打席連続敬遠では悔しさを押し殺した松井。敬遠に際して動と静の対照的な表情をみせた二人は師弟として交わり、巨人軍の一時代を築いた。

※週刊ポスト2013年5月24日号

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