電波少年でブレイクした松本明子「松村邦洋ら共演者は戦友」

NEWSポストセブン / 2013年5月27日 7時0分

『スター誕生!』(1971年)に合格しアイドルとしてデビューした松本明子(47才)。しかしヒット曲には恵まれず、生放送中に放送禁止用語を発言したことで仕事が激減。アイドルとしての限界を感じていた彼女を救ったのが、バラエティー番組だった。あるモノマネ番組での活躍をきっかけに、バラドルという新しいアイドル路線を開拓。30年以上バラエティー番組の最前線に立ってきた。

 松本の知名度を一気に上げた番組の一つが『進め!電波少年』(1992年)だ。もともとはウッチャンナンチャンが担当していた時間枠だったが、

「“彼らが映画を撮る間休むから3か月だけつないでくれ”と土屋敏男ディレクターに言われて、最初はそのつもりだったんです。ところが松ちゃん(松村邦洋)がどんどん過激なロケをして視聴率が20%を超え、そのままレギュラーに」(松本・以下「」内同)

 アポなしロケが番組の代名詞。松本も、数々のスリリングな経験をした。

「いろんなところでブラックリスト入りしましたが、おかげで自分の人生に思ってもみなかった出来事が増えました。当時のPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長(故人)に会いに行く企画で、紛争中だったガザ地区に行きデュエットにつきあってもらったり、来日したマイケル・ジャクソンさんに私だけ花束を受け取ってもらったこともあります。タイの奥地のジャングルに、戦争中の日本兵が財宝を残したんじゃないかといわれている洞窟があって、宝探しに出かけたことも」

 行ってみると、その洞窟はこうもりの巣で、3万匹はいるといわれる場所。

「小型カメラをつけ、こうもりの死骸と糞尿、ゴキブリのじゅうたんをざっくざっくと入って行きました。足元のいやーな感触をいまだに覚えています(笑い)。やってるうちにもっと笑わせたい、笑われたい、と気持ちがエスカレートするんです。みんなが面白いって言ってくれるならやらなきゃと無我夢中でしたから。ギブアップは意地でもしないという決意でいました」

『TVチャンピオン』(1992年)ではロケに同行し、収録時間が15時間以上に及ぶ耐久レポートをしたこともある。

「思い返せば苛酷なんですが、競技者と一緒に闘っている気分になっちゃって、その世界に入り込んでました」

 松村などあの時代に一緒に仕事をした共演者のことを戦友、と言い切る。

「彼らもがんばっているし、芸能界での窮地を救ってくれたバラエティーをまだまだ盛りたてなきゃって思うんですよ」

※女性セブン2013年6月6日号

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