辺見庸氏 「今や皮肉やパロディすら通じない息苦しい時代」

NEWSポストセブン / 2013年6月28日 7時0分

【著者に訊け】辺見庸氏/『青い花』/角川書店/1680円

 舞台は震災があいつぎ、隣国との〈戦時〉でもある近未来の日本、らしい。主人公は左手に壁が聳える線路をただひたすら歩く〈わたし〉。家族をなくし、難民の群れも離れ、〈公的には「国内無登録避難民」だったか「域内無登録高齢流浪難民」〉の身分を証すIDカードも棄ててしまった。

〈わたしはだれでもない。だれでもないわたしは、どこでもないどこかを、だらだらとあるいている〉

 それだけが確かな物語だ。

 辺見庸氏(68)の最新作『青い花』。荒地をさすらう男の歩みと、とりとめのない思索や想念を綴る本作は、意味や感傷や絶望すらない「無」や「虚」や「穴」を思わせ、始まりも終わりもない〈「非場」のくらがりを〉、彼はただあるいている。

 震災以降いよいよ空虚さを増す言葉とその可能性をめぐって、近年果敢な執筆活動を展開する辺見氏だが、実は本書に関してもNHKの復興支援ソング『花は咲く』の扱い等をめぐり、刊行までには紆余曲折あった。が、氏の姿勢は変わらない。いま、このときにこそ寄り添いうる言葉を求めてさすらう作家の、意志そのもののような小説である。

 正確には震災の前と後で、辺見氏の問題意識に大きな変化はない。本書で言えば〈現象〉は幾らもあるのに〈本質〉が消失し、言葉と実体がずれてしまう意味の空洞化や、その人がその人であることをICチップやパスワードこそが証しうる身体性の喪失などが、3.11以降、顕在化しただけだと。辺見氏はこう語る。

「問題は、よほど僕は偏屈な男だと思われているのか、何を書いても妙に怖がられるんですよ(笑い)。確かに2004年に脳出血で倒れてからは書いてはいけないことを書きたがる傾向はあるけど、自分だけは正気だと思いこむ〈真性の狂人たちの澄みきった意思〉への皮肉や、むしろイカレた人間の方に親近感を覚えてしまう俺の分身を、もっと普通に笑ってくれていいんですよね。

 ところが被災地を思う人の善意をおちょくるのはマズいと、今や文芸誌ですら自主規制する時代で、権力の介入以前にコンプライアンスやら〈PC(ポリティカル・コレクトネス)〉やらを持ち出し、『花は咲く』は削るか別の表現にしろと言ってくる。ただそれも誰のせいでもなく、要は皮肉やパロディすら通じないほど息苦しい時代ということです」

 生より死、光よりは闇、凸より凹に吸い寄せられる「穴や溝好き」な傾向(?)も以前から一貫したものだ。

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