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日本人初の「W杯開幕戦」主審・西村雄一が説くレフェリングの極意「サッカー審判は試合進行を“選手に委ねられた人”」「役割はジャッジメントではなくマネジメント」

NEWSポストセブン / 2024年6月14日 11時15分

選手に判定の理由を説明するのは主審の大事なコミュニケーションだ(時事通信フォト)

 スポーツ競技における審判の役割としてイメージするのは「公平でブレない判定」だろう。しかし、2014年のサッカーW杯ブラジル大会で日本人として初めて開幕戦の主審を務めた西村雄一氏は「100人の審判がいたら100通りの判定になります」と話す。どういうことか。その的確なレフェリングが世界で評価された西村氏に、『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた。(全7回の第4回。文中敬称略)

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 一般的にどのスポーツでも審判に求められるのは、「競技ルールに則った公平なジャッジ」といえる。その意味でいえば「主観」を極力排除することが求められるだろう。裁判官によって判決や量刑に違いがあれば、法の裁きを受ける側が不満を抱き、やがては法律そのものが信用を失うことになりかねないように、審判によって判定が異なれば、選手は混乱してしまう。

 しかし、FIFA W杯南アフリカ大会(2010年)やブラジル大会(2014年)など数々の国際試合で笛を吹いてきた西村雄一は、「サッカーの審判はむしろ逆ではないでしょうか」と語る。

「100人の審判がいたら100通りの判定になります。真逆になることはないでしょうが、サッカーでは審判が違えば判定も違ってくることがあります」

 その理由は競技の成り立ちに関係しているという。

「元来、サッカーは審判がいないスポーツでした。“選手それぞれが自らルールを守ること”を前提としていたのです。日本ではサッカーのルールは『サッカー競技規則』と訳されていますが、英語版では『ロウズ・オブ・ザ・ゲーム』と表記されているので『競技の法則』という意味になります。『ルールズ・オブ・ザ・ゲーム』ではありません」

 ここでいう「ロウ(law)」は、「法律」というより「法則」のニュアンスである。日本のような成文法ではなく、サッカーの母国・イギリスの法体系である慣習法(法としての効果を持つ慣習)に近いともいえよう。

「なぜ『法則』なのかといえば、サッカーが“ジェントルマンスポーツ”であるからです。ルールで細かく反則を規定して選手の行動を制限するのではなく、選手がゲームの法則を理解したうえで、自らを律しながらゲームに参加していました。

 現実には、プレーのたびに選手が自分で判定しながらでは試合に集中できませんし、そもそもプレーの質が曖昧な部分が多いサッカーでは、各選手で判定基準が異なるケースもあります。そこで、プレーが法則に則っているかどうかの判断を誰かに委ねる。

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