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沢田研二、中森明菜との音楽番組共演オファーがあったとライブで暴露 最後の共演は1987年、明菜の名曲『少女A』には因縁

NEWSポストセブン / 2024年7月11日 11時15分

《ここ2、3年はアイドルラッシュが機関銃のタマのようでしょ。そこへ、ちょっと遅れてきた大物(=明菜)がもうひとり現れた。元祖アイドルのぼくとしては、身のおき場に困って、あわてふためいているんですよ》

 沢田が明菜を特別に意識し始めたこの頃、ちょうど2人が意外な形で初共演を果たす。その舞台は、1983年4月に始まった音楽バラエティー番組『沢田研二ショー』(TBS系)。2回目の放送に明菜がゲストとして招かれ、番組内のコント風のドラマで顔を合わせた。初老の刑事を演じた沢田に、補導されるツッパリ少女役が明菜だった。

「当時、明菜さんは17才で、沢田さんは34才でした。バラエティー番組の企画とはいえ、明菜さんは初めての役者仕事だったので、相当緊張していたそうです。収録当日は誰よりも早く現場入りして、マネジャー相手に何十回も台本の読み合わせをしていました。でも撮影が始まると明菜さんは次第に余裕を取り戻して、アドリブで沢田さんのことを“おじさん”と呼ぶなど大物ぶりを発揮していました」(当時を知るテレビ局関係者)

 撮影後、沢田は《彼女にはエネルギーが感じられていいね》(『週刊明星』1983年3月31日号)と明菜の魅力を振り返っていた。その後2人は音楽番組で何度か共演したが、1987年末のNHK紅白歌合戦を最後に同じステージに立つことはなくなった。

私は全然行く気満々

 明菜は歌手として華々しく活躍する一方で、1989年以降は自殺未遂騒動や金銭問題、事務所とのトラブルなど、幾度となくスキャンダルが報じられてきた。2010年には無期限の活動休止を発表。2014年末の紅白歌合戦に出演して歌手活動を再開したが、2017年12月のディナーショーを最後に再び表舞台から姿を消してしまう。

「再び動き出したのは、デビュー40周年を迎えた2022年のことでした。8月に個人事務所を立ち上げた明菜さんは、SNSでファンに向けて《ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思います》と再始動を宣言しました」(前出・芸能関係者)

 2023年4月にはファンクラブ会員限定のラジオ番組の配信をスタート。公式YouTubeチャンネルも開設し、今年4月から『北ウイング』や『TATTOO』といった往年の名曲をセルフカバーした動画を公開した。

「セルフカバーはすべてジャズバージョンにアレンジされているのですが、その歌声には明菜さんの決意が込められているような気がします。彼女は以前、周囲に“もう声が出ない”と明かしたことがあったそうです。ジャズは声を張り上げずとも歌うことができる。ジャズに活路を見出すことで、“もう一度表舞台で歌うんだ”という意思を示しているようにも感じました」(音楽関係者)

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