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【夏の甲子園「大番狂わせ」名勝負】1984年の取手二高対PL学園 茨城の「のびのび野球」がKKコンビに「夏唯一の黒星」をつけた

NEWSポストセブン / 2024年7月30日 16時15分

取手二8-4PL学園 延長10回、桑田から3点本塁打を放った中島彰一(写真/共同通信社)

 夏の甲子園が8月7日に開幕する。阪神甲子園球場100年の歴史のなかでも印象に残るのは、優勝候補と目された強豪校がまさかの敗北を喫した番狂わせの名勝負だ。1983年にPL学園(大阪)を破った取手第二高等学校(茨城)を率いた故・木内幸男さんの証言を紹介する。

 * * *
 1983年夏、1年生のKKコンビ(桑田真澄、清原和博)を擁するPL学園が夏春夏の3連覇を狙った池田(徳島)を倒し、高校野球はPLの時代を迎えようとしていた。

 しかし、翌1984年の決勝でそのPLを下す大番狂わせを演じたのが取手二だった。率いたのは木内幸男。2020年に89歳で亡くなったが、「週刊ポスト」ではその2年前に、この試合を振り返ってもらっていた。

「奇跡的なことでしたね。戦前まで取手二は女子校だったんです。グラウンドは60メートル×100メートルの長方形でね、ライトが極端に狭かった。そんな学校に集まるのは茨城の子ばかり。田舎っぺと肩を組んで努力した結果、あんなことが起きた。10回表に3点本塁打が出るなんて信じらんねえもん」

 雨の影響で予定より33分遅れで始まったPLとの決勝は、初回に桑田から2点を先制して取手二が主導権を握った。3連投だった桑田には明らかに疲労があった。PLの主将で、桑田の球を受けた捕手の清水孝悦は言う。

「自分らは日々の練習をこなすことに必死で、相手のことを考えながら野球をやったことはなかったんです。相手がどこだろうと、PLの野球をやれば勝てると信じていた。桑田と清原が1年夏に優勝して、『5季連続で優勝します』なんて言ったものだから、主将として余計に重圧はあった」

 直前に両校は招待試合で対戦し、PLが13対0と圧勝していた。その印象から、PLナインにどこか慢心があったのではないか。そう問うと、清水は静かに頷いた。

PLの流れを断った「木内マジック」

 負けられないPLに対し、取手二は「のびのび野球」で主導権を握った。だが、PLも取手二のエース・石田文樹から6回に1点、8回に2点を奪い、1点差に迫る。

 4対3で迎えた9回裏、石田はソロ本塁打を浴び、ついに同点に。さらに四球でランナーを出すと、木内はすかさず右翼を守っていた左投げの柏葉勝己にスイッチ。送りバントを捕手が俊敏に阻止して一塁走者をアウトにしたところで、木内は再び石田をマウンドに送った。木内マジックと呼ばれたワンポイントリリーフで流れを断つと、10回表に3点本塁打が飛び出し、そのまま逃げ切ることに成功した。

 取手二の快挙後、木内は常総学院(茨城)の指揮官となり、1987年夏には立浪和義が主将を務めたPLと再び決勝で対戦、今度はPLに軍配が上がった。甲子園通算40勝(全国制覇3回)の木内は野球人生をこう振り返った。

「80歳まで監督をやらせてもらった。誰からも反対はなかった。こんな幸せな野球人生はない」

取材・文/柳川悠二

※週刊ポスト2024年8月9日号

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