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「Adoさんの『うっせぇわ』は好きですよ」デビュー60周年・水前寺清子(78)が明かす名作誕生の裏側、そして“生涯現役”宣言

NEWSポストセブン / 2024年8月22日 11時15分

 水前寺が一躍お茶の間の人気者となったのは、女優業の成功も大きい。初の主演ドラマ『ありがとう』(TBS系、1970~1975年)は、相手役の石坂浩二、母役の山岡久乃との共演で人気を博した。

 だが、『三百六十五歩のマーチ』同様、最初はオファーを断わっていたという。この時もまた、背中を押したのは熱意ある人物だった。

「当時、歌の仕事が忙しく、とてもドラマなど引き受けられる状況ではありませんでした。そんななか歌番組でテレビ局に行くと、毎週必ず、あるご婦人がトイレの前に立って私を待ち、『チータ、ドラマやらない?』と」

 その婦人とは、のちに『渡る世間は鬼ばかり』などTBSを代表するドラマプロデューサーとなる石井ふく子だった。

「1か月ほど経ったある日、今日こそキッパリお断わりしようとトイレに向かうと、『あなたがやらないのなら、このドラマはやめます』と仰る。私はその場で『わかりました、やります!』と、つい言ってしまった」

 それでも「やってよかった」と振り返る。

「会社には叱られるし、いざ撮影が始まると公演先から夜行で帰京したり、移動中に台本を覚えたりと、大変な生活になりました。でも街を歩くと役名で呼ばれたり、共演者の方からも温かく接していただき、トイレの前で熱心に誘っていただいた石井ふく子先生には感謝してもしきれません」

 その後も時代劇、現代劇を問わず出演が続いた。2000年には『教習所物語』(TBS系)で鬼教官役を演じたが、実はこの時、彼女は“ペーパードライバー”だった。

「実生活では車を運転することがほぼなく、ペーパードライバー状態が続きました。実は70歳を過ぎた時に決意して運転免許証は返納したんです」

 精力的に活動してきたが、10年前には腰部脊柱管狭窄症で手術を受けた。

「痛みで歩行も難しくなってしまい、ステージで元気よく走り回ることができず、医師の勧めで手術を決断しました。去年も腰の圧迫骨折で皆様にご心配をおかけしましたが、そんな困難も乗り越えることができました」

 78歳の今も生涯現役として歌い続けるつもりだ。

「若い人が集まるライブハウスで歌うのはすごく刺激になります。新しいことに挑戦し、知らない世界を体験するのはとても楽しい。今後は音楽や歌を学ぶ若者のお手伝いができないかと、漠然とですが思っています」

 10月15日のデビュー記念日に合わせた新曲発表も予定しているという。

 幸せは歩いてこない、だから水前寺清子は腕を振って、足を上げて今日も歩いていく。

※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号

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