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《俳優・田村亮が知る亡き兄の素顔》母は田村「正和」ではなく名前は「和子」に決めていた、隣接する兄弟の自宅が2階で繋がっていた意外な理由

NEWSポストセブン / 2024年10月13日 10時58分

 登司麿兄貴も8歳も年上。一緒に遊んで育った、といえば、やっぱり3歳年上の正和兄貴ですね。幼い頃はしょっちゅう取っ組み合いのケンカもしました。オフクロによると、「ふすまや障子を破るようなケンカは見たことがなかった」というから、正和兄貴が手加減してくれて、品よくケンカしていたのかな。

 幼い頃の3歳差は大きいですからね。高校や大学になると、「今、幸照(亮さんの本名)とケンカしたら負けるからやらないよ」と言われて、ケンカをすることはなくなりましたっけ。

仲良すぎの田村家「正月の風景」

 僕ら兄弟は仲がいいんです。これもオフクロの采配がうまかったんだと思います。僕らは男同士ですから、ベタベタした付き合いはしませんが、正月は必ずオフクロのいる僕の家にみんなで集まって、酒を飲んでおせち料理を食べていました。僕はごまめ(田作り)が好きだから、自分で作ったりもして(笑)。兄弟みんな酒が好きだから、正月にみんなで飲む酒量はすごかったですよ。

 兄弟で集まっても、芝居の話はいっさいしないんです。ケンカになるから。だから、たいした話はしません。みんな真面目で無口なほうですしね。昔、オヤジのお弟子さんで、よく遊んでくれたあの人は最近どうしてるとか、兄貴んちの子どもは中学生になったんだなとか、そんな話。僕の女房がいちばん年下だから、「正和さん、美味しいなら美味しそうな顔して食べてくださいよ」なんて軽口叩いたりしてね。そんな僕らの周りを、子どもたちが賑やかに走り回っている、というのが田村家の正月の風景でした。

 両親の法事でも、よくみんなで京都の二尊院に集まりましたから、法事のあと子どもらも連れて、小さなお茶屋さんで飲み食いしたり、兄弟で京都の祇園の小さなクラブで一緒に飲んだりしたこともあります。高廣兄貴は日本酒が好きで、飲むと怒りっぽくなることもありました。僕らに対してじゃなくて、世の中の理不尽なこととかに対してね。正和兄貴と僕は、ビールを飲んだ後、白ワイン。正和兄貴は飲んでも物静かでした。僕は今じゃめっきり弱くなって、ワイン2杯がせいぜいです。

 母が元気な頃、正和兄貴がジャージを着て正月の挨拶に来たことがありました。ジャージといっても、高級ブランドのものだったのですが、オフクロが「新年の挨拶にジャージは良くない」と小言を言ったものだから、正和兄貴はすぐに自宅に戻って、今度はタキシードに着替えて颯爽と現われたんです。驚いたし、家族中で大笑い。正和兄貴はそんなお茶目なところがあったんですよ。

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