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「生きとったんか!」山一抗争で山口組組長を射殺したヒットマン部隊直属の指示役が逮捕されヤクザ界騒然 指名手配され約40年行方不明だった男の“数奇な運命”

NEWSポストセブン / 2024年9月11日 11時15分

事件に使用された銃(時事通信フォト)

 今から40年前に勃発し、29人の死者を出した「山一抗争」。暴力団史上最悪とされる抗争に、まさかの続編があった。フリーライターの鈴木智彦氏がリポートする。

 * * *
 9月2日、長崎県諫早市で、75歳の無職男性が逮捕された。同県松浦市で、市議会議員を務める知人男性の中傷ビラを撒き、虚偽の事実を広めた名誉毀損の容疑である。

 報道によると「連日連夜騒いでいる」「わいせつ罪を犯している」などと誹謗された市会議員は、今年2月29日、松浦市の川沿いで自殺したという。当事者はすでに亡くなっているが、遺族が被害届を出していた。

 事件はこれだけでは終わらなかった。

 捕まった宮本榮治容疑者にはとんでもない過去があった。昭和60年(1985年)1月26日、大阪府吹田市にあるマンションの1階エレベーターホールで、山口組四代目竹中正久組長、中山勝正若頭、南力若中の3人が暗殺された。宮本容疑者はヒットマン部隊直属の指示役だったのだ。

 暴力団としての渡世名は「後藤栄治」(以下、渡世名)という。当時、夕刊紙や週刊誌では、連日、彼の動向が報道された。四代目人事を巡って紛糾し、山口組を離脱した組長たちは、一和会という新組織を旗揚げした。トップに就任したのが山本広会長で、二代目山広組の若頭となった後藤容疑者は、いってみれば竹中組長らを襲った一和会の主流派ど真ん中の前線司令官に当たる。

 実話系週刊誌の元記者はこう説明する。

「後藤容疑者は事件後、たった一人行方が分からなかった関係者です。『神戸の三宮で見かけた』とか、『東北で刺青の彫師になっている』などと、定期的に目撃情報が寄せられ話題になるのですが、殺され埋められているという死亡説も根強かった」

 暗殺事件から40年を迎えようとする夏の終わりに蘇った山一抗争の亡霊に、暴力団社会も奇妙な興奮に包まれた。

「生きとったんか! 正直、ここまで見つからないのは、殺されたか、のたれ死にしたかと思ってた。逃亡したヒットマンの末路は悲惨。組織が面倒を見る約束だったとしても当てにならん。盛者必衰の世の中でも、ヤクザは格別に浮き沈みが激しい。組織が消滅することなんてざらや」(在阪の山口組系組長)

3か月後なら時効廃止

 しかし後藤容疑者は強運の持ち主だった。竹中四代目射殺事件は、公訴時効が撤廃されるギリギリで時効が成立しており、もはや罪に問えないのだ。

 当時、殺人の公訴時効は25年である。1985年発生の殺人事件は、2010年に時効となるが、この年の4月27日、「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が成立・同日公布され、殺人罪の時効が廃止されている。事件がもし3か月後だったら、後藤容疑者は一生追われる運命だった。

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