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【『内村プロデュース』が19年ぶり復活】内村光良の「静かな革命」 デビュー当時を知る共演者が明かしたコント王の原点

NEWSポストセブン / 2024年9月28日 16時15分

 ウンナンは笑組と同じく好江の「弟子」と紹介されることがあるが、ウンナンの場合はあくまで形式上のことだった。当時、好江のカバン持ちをしていたゆたかの相方、かずおが思い出す。

「ウンナンさんは最初、お笑いなんてやりたくなかったと思いますよ。2人は名前を売るためにコントをやるんだと話していましたから。南原さんは師匠のお茶汲みやカバン持ちをやらされるのなら、事務所を辞めるって言ってたぐらいですし」

 ゆたかも南原に「(自分のことを)兄弟子とは言わないでくれ」と釘を刺されたことがある。

「内村さんは何にも言わなかったですけど、内心は同じだったと思います。でも、弟子にならなくてよかったですよ。伝統やら作法やらを叩き込まれたら、あれだけ自由な発想のコントは生まれてないですから。内村さんは化粧もやらないし、衣装も用意しない。セットも簡単なものだけ。芝居の人からしたら横着しているように思われる。でも、それがオシャレに見えたし、コントをやろうとする人たちのハードルをぐっと下げた。裏方さんの仕事も楽になりましたしね。革命だったと思いますよ」

女性ファンに「しーっ!」

 かずおはウンナンの代表作『日比谷線 vs銀座線』を観たときの衝撃をこう振り返る。

「日比谷線と銀座線を人間に置き換えて、互いに罵り合ったり、不平や不満を漏らすんですけど、こんな切り口があったんだ、って。周りの芸人たちも『やられた……』って言ってましたけど、内村さんじゃなきゃ絶対に作れないと思いますよ」

 ゆたかは、内村のこんな仕草を目撃したことがある。

「ウンナンさんが出てくると女の子たちがちょっとしたことでも大笑いしちゃうんです。でも、笑いが収まらないと、次のシーンにいけないじゃないですか。なので、内村さんが客席に向かって『しーっ』ってやったんです。あんなことやる人、初めて見ましたね」

 そのあたりも内村が作り手だったことの証左だろう。

ショートコントを発明

 草創期のウンナンの歴史を紐解くとき、運命的な出会いとして必ず語られるのが音楽グループのジャドーズだ。彼らは音楽の合間に短いネタを披露した。紙を切る音などの音芸や、物真似を披露し、その間を「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャジャ」と口ずさむことでつなぐ。今日ではブリッジと呼ばれるようになった手法だ。彼らのショートネタの影響を受け、ウンナンは「ショートコント、○○」というやり方を始めた。この発明が時代を動かした。永峰が語る。

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