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晩年は病魔と闘う日々だった西田敏行さん「どう命をたたむか毎日考えている」「死を考えることが幸せ」東日本大震災で紡ぎ出された独特の死生観 

NEWSポストセブン / 2024年10月22日 7時15分

急逝した俳優の西田敏行さん

 俳優の西田敏行さんが10月17日、虚血性心疾患で亡くなった。76才だった。年を重ねるとともに俳優として円熟味を増していった西田さんだが、一方で晩年は病魔との闘いの日々でもあった。 

 2001年11月、首の骨が変形して手足のしびれが起こる頸椎症性脊髄症の手術を受けた。2003年3月には心筋梗塞を発症して生死の境をさまよい、2016年2月には自宅ベッドから転落して頸椎亜脱臼に。その手術を4月に受けた直後、胆のう炎を発症した。近年は糖尿病の治療を続けていたという。 

「2016年にベッドから転落したことで、両手両足にまひが残ったと明かしていました。手術と執念のリハビリを経て復帰を果たしましたが、ここ数年は杖が手放せず、基本的に車椅子で移動することが多かったようです」(映画関係者) 

 どの撮影現場でも、西田さんへの最大限の配慮がなされていた。 

「ナレーションを務める『人生の楽園』(テレビ朝日系)では、体調を崩して収録を休んでも問題ないよう、2か月分ほど録りだめする体制が敷かれていました。西田さんは“こんなに気を使ってもらって、本当に申し訳ないね”と話していました。それでも、病気を理由に第一線を退いたりすることは一切考えていなかったといいます」(テレビ局関係者) 

妻からは禁酒禁煙を厳命され…… 

 西田さんの著書『役者人生、泣き笑い』(河出書房新社)には次の一説がある。 

《幸か不幸か、役者には定年がないので、生きている限り役者稼業を続けて行くつもりです》 

 その言葉通り、西田さんは「生涯役者」をまっとうしたと言えるだろう。それを支えたのは妻だった。1974年に結婚した4才年下の妻・寿子さんも、かつては女優をしていた。だが、西田さんとの交際を機に女優を諦め、当時まだ下積みをしていた西田さんを支えるために、いくつもアルバイトを掛け持ちしたという。西田さんの才能に惚れ込んだからにほかならない。 

「寿子さんはずっとスリムなスタイルを維持していて、とても気品のあるかたです。確か、ヨガか何かのインストラクターのようなこともしていたはずです。夫婦仲はいたって良好で、亡くなるつい1週間ほど前にも、一緒に近所の馴染みのそば屋から出前を取って、西田さんは大盛りそばと卵丼をペロリと平らげていたそうです」(近隣住民) 

 西田さんの個人事務所の代表も務めていた寿子さん。西田さんの俳優としての成功は、寿子さんが裏方として支えなければ、なしえなかったことだろう。 

「心筋梗塞で倒れたとき、医師から“原因はお酒とたばこ”と言われ、寿子さんは禁酒禁煙を厳命しました。それまで、浴びるように飲むことも頻繁でしたし、多いときには1日8箱もたばこを吸うヘビースモーカーでしたからね。寿子さんはきっちりと栄養をコントロールした食事を手作りしました。そのおかげで演技を続けられたんだと西田さん自身もわかっていたようで、寿子さんには頭が上がらなかったようです」(芸能関係者)

 結婚から、今年はちょうど50年の「金婚式」だった。 

「西田さんの通院やリハビリにも、常に寿子さんが寄り添っていました。病院のリハビリルームを貸し切りにし、寿子さんと最小限のスタッフだけがいる状況でリハビリに励んでいました。役者として、イメージを壊したくないというこだわりがあったんでしょう。寿子さんは西田さんの出演作は必ず見ていましたし、西田さんのいちばんのファンでもありました。“100才まで生きて、演技を続けて”と言い続けていました」(別の芸能関係者) 

 ただ、西田さん自身は、必ずやってくる“その日”のことを強く意識していたようだ。 

「死ぬということを、ごく日常的に考える年齢になりましたので、どう命をたたむか……毎日、毎日、考えている。(中略)夜、寝る前に必ず1回は“明日、死んでいたらどうしようかな”と考えます。そんな人生……幸せだなと思います」 

 2021年に出演した映画『いのちの停車場』の舞台挨拶で、西田さんはそう死生観を明かしていた。「死を考えることが幸せ」という独特な感性は、西田さんの経験から紡ぎ出されたものだ。 

「福島県出身の西田さんは、東日本大震災で、ふるさとが甚大な被害を受けました。発災から2週間後には地元へ足を運んで、友人たちと一緒に被害の大きかった南相馬市に車で向かいました」(西田さんの知人) 

 その際、突然命が奪われ、人生が終わる悲劇を身をもって感じていた。 

「西田さんは、仮に病気による最期だったとしても、“そろそろ自分は死ぬのかもしれない”と思いながら死を迎えられることは、幸せなことだと捉えていたんです。逆に震災や事故などで、死を意識していなかった人が突然亡くなってしまうことこそが、最大の悲しみだと考えていたそうです。 

 何度も病気になり、治療やリハビリが苦しいものだったとしても、役者稼業を終生まっとうし“明日、死んでいたら”という夜がな思いふけった結末の形で旅立った。西田さんにとっては“理想の死に方”を迎えられたのでしょう」(前出・西田さんの知人) 

 この9月には、極秘で数日間、福島へ里帰りしていたという。故郷の原風景を眺めながら、西田さんはこれまでの人生と、その先の「死」に思いを寄せたに違いない。最期まで貫いた、西田さんらしさ。その輝きはいつまでも色あせない。 

※女性セブン2024年11月7日号 

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