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《なんで言われへんねん!》笑福亭笑瓶さんがめずらしく激怒した「ダメ出し事件」、愛弟子が初めて明かす師匠の“知られざる素顔”

NEWSポストセブン / 2024年11月11日 10時59分

 再び大阪のテレビ局で笑瓶さんを出待ちをして、改めて弟子入りを志願。すると、笑瓶さんは「ほな、やってみるか」と、1997年4月に上京が決まった。当時笑助氏20歳、笑瓶さん40歳だった。

「師匠の自宅近くに家賃3万円のアパートを借りて、下積み生活を始めました。朝、師匠の自宅周辺の掃除をして、仕事先の現場までの運転。車降りて楽屋に入るまでカバンを持たせていただいて、着替えを少し手伝ったりもしました。そして本番を見させていただいて、仕事が終わって家に帰るまでの車で、世間話の延長みたいな感じで私のいろいろな話を聞いてくれました」

 しかし、帰りの車中が時には“稽古場”となり、笑瓶さんが激怒することもあったという。

「私が車を運転しているときに、師匠から『どんなネタをやりたいねん?』と聞かれ、漫談をやりたいと伝えたら『やってみい』と。緊張しながら漫談を始めたら後部座席から師匠が『危ない! ほら! そこ! 信号赤や!』と。しゃべることに必死で運転がおろそかになり、よく怒られました。

 長時間ダメ出しを受けている時に『はい、はい』と私が返事をしていたら、『“はい”が陰気や!』『お笑いは“はいっ!”と元気よくいわないかんねん。わかったか。違う! なんで元気よく“はい!”と言われへんねん!』と、よく怒られました」

 弟子に就いてしばらくは、笑瓶さんのことを「師匠」と呼ぶことも禁止されていた。

「弟子に就いてすぐ『師匠とお呼びしていいでしょうか』と尋ねたら、『まだ弟子として取ったわけではないから“笑瓶さん”でいい」と言われました。弟子入りから4カ月後の8月に師匠を迎えに行き、師匠が自宅から出てきたときに『おはようございます』と挨拶をしたら突然、『命名しよう。笑助!』と仰って、そこから『笑助』と呼んでいただけるようになりました。認められたようで、うれしかったですね」

 約3年半の修行生活を終えてからも、事あるごとに師匠と顔合わせ、数カ月に1度の電話は欠かさなかった。笑助氏は笑瓶さんとの最後の会話が忘れられないという。

「12月13日は芸事の私たちにとって“事始め”といって、お正月のようなものです。師匠が亡くなる前の12月に神戸で鶴瓶一門の集いがありました。4日後に師匠から電話がかかってきて、何かなと思ったら『おまえにお年玉を渡すの忘れとったから、今度、会った時に渡すわ。ほなな』と。結局、それが師匠との最後の会話となってしまいました。

 師匠が亡くなった今でもハンドルを握っていると、『急がんでええで』と師匠の声が聞こえてくるような気がする時があります。後にも先にも弟子は僕しかいません。師匠の意志を継ぎながら、歩んで行きたいと思っています」

 人に気を遣い、人にやさしく、恥ずかしがり屋で、愛妻家で、ゴルフと車が趣味だった笑福亭笑瓶さん。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

(了。前編から読む)

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