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【江夏豊が語る名選手と名監督】「王さんに打たれたら悔しいのに、ミスターには腹が立たない」「大喧嘩をした金田正一さん」…レジェンドたちとの逸話

NEWSポストセブン / 2024年12月12日 10時58分

 阪神からトレードで南海に行った時、野村克也という人間がいた。彼もまた特別な人やった。当時は周りから認められない、愛されない部分もある人だったけど、俺は好きだったし「おい豊、豊」とよく声をかけてくれた。そういう意味じゃ忘れることができない。

 野村克也解任時の刀根山マンション籠城も、本当は若手が何人かいたけど「お前らは帰れ」と帰した。批判を浴びる役目は俺らが引き受けるつもりでいたから。マスコミには散々叩かれた。叩かれるのは慣れっこだったけど、周りに迷惑かけるのはやっぱり辛かった。

 同じ左腕の大先輩のカネ(金田正一)さんとは、俺の1年目に大喧嘩した。「このガキ!」「このポンコツ!」と。自分と親しくなった諸先輩方もいれば、そうでない場合もある。人間誰だってそう。でも勘違いしないでほしいのは、大喧嘩したからといって憎んでいるのとは違う。現に400勝という偉大な記録を打ち立てたカネさんに敬意を持っているんだから。

 現役生活18年の間、たくさんの監督のもとでプレーした。一癖も二癖もある人ばかりで、例えば大沢親分こと大沢啓二は、困ったおやじだった。びっくりしたのは、選手に彼女の家まで送らせるんだから(笑)。言うなれば心を許してくれたわけだけども、まだ対応するだけの余裕もなかったから戸惑うしかない。慣れてくればこうすりゃいいんだとわかってくるけど……。いち選手が監督の彼女の家まで一緒に行く。まあ馬鹿じゃないかなと思う時もあったけど、いい思い出だよ。

 阪神では、おじいちゃん(藤本定義)、クマさん(後藤次男)、ムラさん(村山実)、金田(正泰)さん、吉田(義男)さん、いろんな監督さんがいた。吉田さんが監督の時に南海へトレードされた。「トレードはない」と外部に言うなど、経緯もわからず裏切られる思いがした。でもトレードのおかげでたくさんの仲間と出会えたんだから、結果オーライというか感謝よ。

(第3回へ続く。第1回から読む)

【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ。

松永多佳倫(まつなが・たかりん)/1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。近著に『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)などがある。

※週刊ポスト2024年12月20日号

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