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《小倉智昭さん死去》「でも結婚できてよかった」溺愛した菊川怜の離婚を見届け天国へ、“芸能界の父”失い憔悴「もっと一緒にいて欲しかった」

NEWSポストセブン / 2024年12月10日 16時55分

亡くなった小倉智昭さん。Instagramで思いを綴った菊川怜(時事通信フォト)

 朝の情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の司会などで活躍したアナウンサーの小倉智昭さんが12月9日、膀胱がんのため死去した。77歳だった。2016年に膀胱がんを発症し、がんが転移しながらも闘病生活を続け、テレビに出演していた。NEWSポストセブンが関係者に取材すると、同番組でキャスターを務めた菊川怜(46)も憔悴しきっているという。更新したばかりのインスタには、心痛な思いを綴った。

《小倉さん、悲しいよ。こんな日がくるなんて。もっと一緒にいて欲しかった。もっと会ってお話したかった。いつも私の事を父親のように心配してくれました。そして話を聞いて相談にのってくれました。その優しい声が忘れられません。ありがとうございました。ご一緒できた時間は、かけがえのない時間です。》(原文ママ)

 秋田県で生まれ育った小倉さんは、獨協大学卒業後の1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬の実況中継で頭角を現し、大橋巨泉にスカウトされて1976年に同社を退社してフリーに転向も、厳しい下積み生活が続いたという。

「フリー転向後も10年近く仕事に恵まれず、税金や光熱費の滞納が続いて同僚から借金をすることもあったそうです。1984年に古巣のテレ東から『タミヤRCカーグランプリ』のナレーションの依頼があり、当時37歳だった小倉さんは軽快で個性的なナレーションで小中学生から人気となりました。お昼の帯番組『どうーなってるの?!』(フジテレビ系)で7年間MCを務めて、歯に衣着せぬ発言で主婦層の支持を得ました」(テレビ局関係者)

 苦労を乗り越え、“司会者・小倉智昭”としての地位を確立させたのが、1999年から始まった『とくダネ!』だった。

「番組を引き受けるに当たって、小倉さんの唯一条件は『毎回、冒頭でフリートークをやりたい』ということでした。言葉を操って生きてきた職人としてのこだわりだったようです。フリートークでは、本番前にどんなテーマを取り上げるかは誰にも相談せず、時事問題について辛辣な意見を口にして抗議の電話が来ることもりましたが、自分の言葉で喜びや怒り、哀れみを訴えていました」(同前)

 小倉さんが“朝の顔”として定着した番組スタートから14年目、新キャスターに抜擢されたのが、名門・桜蔭高校を経て東大工学部建築学科を卒業した当時34歳で女優の菊川だった。

「小倉さんは『怜ちゃんはこの番組1本にかけてくれて、外で食事をしても家に帰っていろいろニュースを見たり、新聞を読んだりして一生懸命がんばっている』と、努力する彼女を認めていました。プライベートでは、当時独身だった菊川さんのことを思い『独りは寂しい?』といつも心配していました」(フジテレビ関係者)

“芸能界の父”として慕った菊川との関係

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